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コバろぐ

社会人ブロガー頑張る

柳原白蓮(宮崎燁子)のこと。不倫の果ての駆け落ちは女を幸せにしたのか


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柳原白蓮は大正から昭和時代にかけての歌人で、大正三美人の1人です。ちなみにあと2人は九条武子と江木欣々。

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さすが、「三美人」のひとりとあってお美しい。

さて、大正三美人の件は置いといてここでクイズです。柳原白蓮はとあるドラマの登場人物のモデルとなっています。どのドラマの誰でしょう?

ヒントは、朝ドラ。仲間由紀恵さんが演じていました。

わかりましたね。そうなんです、歌人柳原白蓮は、NHK朝の連続テレビ小説(朝ドラ)の『花子とアン』に登場する、蓮子さんのモデルなのです。

柳原白蓮(宮崎燁子(みやざきあきこ))

柳原 白蓮(やなぎわら びゃくれん、1885年(明治18年)10月15日 - 1967年(昭和42年)2月22日)は、大正から昭和時代にかけての歌人。本名は宮崎燁子(みやざきあきこ)、旧姓:柳原(やなぎわら)、北小路(きたこうじ)、伊藤(いとう)。大正三美人の1人。白蓮事件で知られる。

父は柳原前光伯爵。母は前光の妾のひとりで、柳橋の芸妓となっていた没落士族の娘奥津りょう。東京に生まれた。

大正天皇の生母である柳原愛子の姪で、大正天皇の従妹にあたる。

引用元:柳原白蓮 - Wikipedia

貴族の父をもってはいるのですが、所詮は妾の子なので里子に出されたりしてます。

そして、華族女学校に入学するも中退、無理矢理結婚させられるも離婚し、「出戻り」と罵られながら外に出ることができないほぼ幽閉生活を送るようになります。

兄嫁のつてで東洋英和女学校に入学後、特に山岡花子と親交を深めたことは『花子とアン』を観たならご存知でしょう。

卒業後、九州の炭鉱王伊藤伝右衛門と見合いをさせられ、不釣り合いな結婚をするハメになります。

そしてその後、いわゆる「白蓮事件」を引き起こします。

白蓮事件

さて、白蓮が世間を騒がせた“白蓮事件”とはいったいどのような事件だったのでしょうか。

簡単に言うと“白蓮事件”とは、九州の“炭鉱王”伊藤伝右衛門の妻で歌人の柳原白蓮と、社会運動家の宮崎龍介の駆け落ち事件です。報道がどんどん加熱していって世間を騒がす大事件になったようです。

宮崎龍介

白蓮のお相手の宮崎龍介は孫文を支援して辛亥革命を支えた宮崎滔天を父に持ちます。 社会運動に目覚めたのは父親の血なんでしょうか。

大正デモクラシーを鼓吹し、言論団体『黎明会』に参加しその機関紙『解放』の主筆となりました。

白蓮と龍介の出会い

『解放』には柳原白蓮も執筆していましたが、ある時その打ち合わせを別府の伊藤家の別荘で行うことになり、龍介がたまたま九州出身だったので別府まで出向き、そこで白蓮と出会うことになります。

ここでどうやら恋仲になったようです。

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白蓮事件

1921年10月20日、伊藤夫妻は東京日本橋の旅館に滞在していましたが、福岡に帰る際、白蓮は親族と会う予定があるので東京に残ることになっていました。

しかし、伝右衛門を見送った後、白蓮は行方をくらまします。

これを大阪朝日新聞がスクープして1面トップで掲載、世間に知られることになりました。

本当は絶縁状を伊藤家に郵送してから記事になる予定だったようですが、大阪朝日がそれを察知して失踪翌日に記事にしようとしたところ、龍介が取引をし、絶縁状を大阪朝日に渡すかわりに記事掲載を1日伸ばすことを約束させました。

女から男に、新聞を使って縁を切る宣言をする異例の事態ですから社会的反響は非常に大きかったようです。

その後

伝右衛門との離縁が成立したあとも柳原家に監禁されたり、龍介との間に生まれた子香織が伝右衛門の子として出生届を出すべく図られたりして、なかなか2人は一緒になれませんでした。

しかし、“駆け落ち”という手段を選んでそれが失敗した以上、それは仕方がないのかも知れませんね。そしてさらに、息子・香織が太平洋戦争の際に所属していた基地が爆撃を受けて戦死。

しかし晩年は穏やかに落ち着いた暮らしをしたようですね。

最後に

白蓮と龍介の恋は純粋であったとしても、駆け落ちをして散々他人に迷惑をかけて生きていって自分らだけ満足してるなぁ、と思わずにはおれないのですがどうでしょう。駆け落ちって結末はそんなもんなんでしょうか。

例えば、ダスティン・ホフマンの映画『卒業』を見ても、あのあとあの2人が満足したとしても、まわりの人はたまんないだろうなぁと思いますし。

しかし、晩年は白蓮はシアワセだったのだろう、と思います。

夫・龍介の介護のもと、娘夫婦と歌を詠んだりして静かに暮らしたようですから。筑紫の女王とまで言われた立場で、世間を騒がす駆け落ちをしてまで手に入れた生活としてそれは大きいのか小さいのか、まったくわからないことですけども。

最後に、白蓮を看取ったあと、龍介が寄せた回顧録の中のコメントをひとつ紹介しておきます。

「私のところへ来てどれだけ私が幸福にしてやれたか、それほど自信があるわけではありませんが、少なくとも私は、伊藤や柳原の人人よりは燁子の個性を理解し、援助してやることが出来たと思っています。波瀾にとんだ風雪の前半生をくぐり抜けて、最後は私のところに心安らかな場所を見つけたのだ、と思っています。」