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日本はクジラを獲ってはいかんのか?文化と文明の話

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どうも!コバヤシです。

鯨と捕鯨の文化史

日本の捕鯨がとやかく言われてると思ったら、中国の犬肉祭が叩かれたりしますね。叩いている側は「残酷だ」と言いますが、当事者は「?」ってなったりします。

この摩擦って、結局「文明」と「文化」の違いで起こってるんじゃないですか。簡単に言うと、「文明」は普遍的、「文化」は地域的。

 

「文明」と「文化」

「文明」と「文化」って似てるようで違うんです。そして人間は、「文明」は「文化」の上位互換であるとどこかで誤解してたりします。この誤解が「そんな文化は野蛮だ」とかいう発言を生むわけです。

しかし、「文明」と「文化」は明確に違います。

自動車で言うと、アクセル踏んだら走り出す、ブレーキ踏んだら止まりますし、乗ったらシートベルトをします。これって自動車文明。世界中で割と共通です。つまり普遍的。

しかし、左側を走るか右側を走るかは、地域ごとに違います。これが文化。文化は普遍的ではないので、「俺のところでは右を走るんだ、だから左側通行の場所でも右を走る」とか言ってたら事故って死にます。だからといって、左側通行の場所で「右を走らないのはオカシイ」といっても仕方がないのです。

 

昔は「文明」だった「文化」

昔は、「文明」は「文化」の上位互換でした。それはヒトも少なく、地球上で文化と文化がぶつかることなくその地域で普遍的になれたからです。その範囲だけで全てが完結してた。だからそれが「文明」と呼ばれるようになりましたが、実はデカい「文化」です。要するに、世界四大文明とか言いますけれど、それはただ単に広い範囲の「文化」でした。

 

「文明」が「文化」を批判する無意味さ

今の「文明」は正に「文明」です。地球規模で普遍的だったりします。しかし、各地で「文化」は残っています。だから「文明」は「文化」の上位互換であるという誤解のもと、野蛮な「文化」への批判が出てくるのですね。誤解が元ですから「文明」側は自分たちが正しいと思って盛大に批判してたりします。しかし、批判されてる側は自分らの「文化」が批判されてもいい気分はしないし、「文明」に照らし合わせて“違う”ことをしていることは何となくわかってても、それは「文化」だから、としか思ってないんです。

 

すべてを飲み込む地球文明ができたら

いずれ、「文明」の名の元に「文化」は駆逐されていくのかもしれませんが、「文化」の地域性や多様性が地球上から無くなってしまうとなると、人類の文明もかなりノッペラボーなものになっちゃいそうですし、ちょっとそれはつまんないな、と思ったりもします。

 ちなみに、上記の「文明」と「文化」の定義はぼくが考える定義です。日本の捕鯨が批判されたりするのを見て感じる違和感、あれを思いつつ定義してるんですけども、あながち間違いじゃないと思うんですよね。わかんないけど。

それにしても、「文明」と「文化」ばっかり書いてたから「文」という字が完全にゲシュタルト崩壊。

 

ではまた。