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元阪急ブレーブス、ダリル・スペンサーの話

スポーツ

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戦前の“職業野球”と呼ばれていた頃の古い体質を残していた日本のプロ野球の近代化を推し進めた選手として、ダリル・スペンサーの名前はよく上がります。

スペンサーと打撃成績でいつもバトルを繰り広げていた野村克也もことあるごとに「日本のプロ野球を変えたのはスペンサーとブレイザー」と言っています。

そんなダリル・スペンサーさんが亡くなったそうです。

ダリル・スペンサー氏が死去 元プロ野球阪急内野手 :日本経済新聞

気合じゃない野球を日本に持ってきたスペンサー

投手のクセを読む

スペンサーが阪急ブレーブス(現オリックスブレーブス)に入団し、活躍したのは1964年~1972年。

それまでの日本のプロ野球はまだまだ発展途上で、精神論がまかり通っていました(今でも残ってるみたいですけど)。つまり例えば、ある選手が打撃不振に選手が陥ったとしたらどうしたらスランプを脱出できるか、または打てるようになるかを考えるのは当たり前です。でも当時は「打てないんだったら当たってでも出ろ。ていうか打てんのは気合が足りんからじゃ。気合じゃ気合(鉄拳)」みたいな感じだったらしい。

そんな時代にスペンサーはピッチャーが投げるたびに一球一球メモを取り、その投手のクセを見破ることに苦心していたそうです。スペンサーの弟子といっていい高井保弘はこれにはビックリして真似したそうです。ちなみに高井保弘は通算代打ホームラン27本という記録を持っています。これは世界一です。

サイクルヒットの概念を日本に

プロ野球ファンの中には記録マニアな人も多いもんですが(ぼくもスキー!)、そんなファンの人もスペンサーに恩恵を受けていると言っていいかもしれません。

1965年7月16日の試合でスペンサーは最後に三塁打を放ってサイクルヒット(サイクル安打)を達成します。サイクルヒットとは、1試合でヒット、ツーベースヒット、スリーベースヒット、ホームランを打つことで、これはまぁものすごい記録なわけです。

しかしこのとき、日本のプロ野球にはサイクルヒットの概念はありませんでした。

達成したのに試合後に自分のところに誰も取材に来ないことを訝しんだスペンサーは自分から記者に「なんで来ないん?これはすごい記録やねんで」と教えたそうです。この発言をきっかけに日本野球機構は遡ってサイクルヒット達成者を調査して、連盟で表彰し、公式に名前が残るようになりました。ちなみに調査の結果スペンサーは23人目の達成者だったそうです。

ダリル・スペンサー伝説

このように、ダリル・スペンサーは日本のプロ野球にとって恩人のような助っ人選手だったわけですが、そんなありがたい宣教師のような話以外にも色々な面白い逸話をもっているのでそれらをご紹介します。

バットを逆さまに構える

1965年、打撃好調のスペンサーはパ・リーグ最強打者の野村克也と打撃成績で激しい争いを繰り広げていました。そんなとき、当時の日本プロ野球会では「外国人選手にタイトルを取らせるのはイヤだ」という謎の意識が働いていました(バース、ローズ、バレンティンのときにも感じた人は多いハズ)。そんなわけで、その野村克也率いる南海ホークスとの試合のとき、やっぱりスペンサーは敬遠されるわけです。そしてそれに抗議してスペンサーはバットを逆さにもってバッターボックスで構えました。それでも敬遠されちゃうんですけど。

この試合の前にはタイトル争いに関係のない東京オリオンズの試合で8打席連続敬遠されてますから怒ってたんでしょうね。そのときは9打席目に敬遠の球を打ちにいきました。

この年、スペンサーはシーズン残り2週間というところで交通事故に巻き込まれて残り試合を欠場、おかげで最高出塁率のタイトルは得ましたが、野村克也に三冠王を許してしまいます。ノムさんの成績は.320、42本塁打、110打点。ちなみにスペンサーは.311、38本塁打、77打点。打点以外はもしかしたらタイトル獲れたかもしれませんね。

西宮球場で本塁打を打ちやすくする

1967年、スペンサー最後の30本塁打達成の年ですが、その年に「本拠地は味方に有利になるようにするもんだ」とか言って本拠地西宮球場のラッキーゾーンを3m前に移設させました。

ラッキーゾーンは昔甲子園にもありましたがレフトとライトのフェンスの前にもう1層フェンスを作り、そのフェンスとフェンスの間のスペースのことです。そこに打球が入るとホームランになります。また、ブルペンとしても活用してましたね。

パンチョの名付け親

故・伊藤一雄さんはパンチョの愛称で親しまれていましたが、パンチョと名付けたのはスペンサーらしい。

ぼくとスペンサー

スペンサーはぼくが生まれた年に現役を引退しています。なのでもちろんぼくは選手として活躍しているスペンサーを見たことがありません。

じゃあ何で知ってるのかというと、ぼくが昔からプロ野球の外国人選手が好きだからです。特に中学生高校生のころはいわゆる「助っ人外国人」について書かれた本を読み漁っていたんです。だからちょっと知ってたってわけです。

ちなみに当時読んだこの本に載ってました。

この本でうわぁカッコええ!と思った選手がスペンサーと大洋ホエールズのボイヤー。

最後に

個人的には、日本プロ野球に多大な影響力を発揮し、結果として日本プロ野球を変えた選手として殿堂入りさせるべき偉大な選手だったと思います。

そんなスペンサーが亡くなりました。それでこんな記事を書いちゃいました。

ご冥福をお祈りします。

 

ではまた。

 

参考記事

二宮清純「日本野球近代化に貢献した2人の元メジャーリーガー」(二宮 清純) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)
http://www2.plala.or.jp/ippeifuji/p-k3-8.htm
「日本の野球殿堂はまだか」今だ健在スペンサー(674回): 蛭間豊章記者の「Baseball inside」
ダリル・スペンサー - Wikipedia