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ぼくと阪神淡路大震災


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1995年1月17日午前5時46分、関西で大きな地震が発生、甚大な被害をもたらし、この地震阪神淡路大震災と呼ばれるようになりました。あれから21年経ちました。

阪神淡路大震災東日本大震災両方を、被害が大きな地域にいたわけでないにしろ両方とも経験したぼくとして、当日とその後の行動を書いておこうと思います。

 

地震

そのときぼくは大学生でした。もうすぐ学年末試験だったけども、ケ・セラ・セラなぼくは徹夜でゲームして、やっと寝ようとしたところでした。布団に入り寝ころんだ瞬間、いきなり背中を何かにドーンと勢いよく突き上げられました。それがあの地震最初の縦揺れでした。

地震か」と思いつつ眠いぼくはそのまま寝ることにしました。寝惚けた頭で「なんかスゲーデカい地震だな。この建物崩れるんじゃないか。まぁでも眠いし」とかまだまだ揺れてる中思いつつ、さぁ、寝るぞと思ってたら母親が部屋にバーンと入ってきて「アンタ!死にたいんか!」とぼくを叩き起こしました。

仕方がないから起きてリビングに向かいました。キッチンの観音開きの食器棚から食器という食器が落ちてしまっていました。

 

神戸

食器をかたずけつつテレビを付けたら、まだまだ情報が錯綜してカメラの向こうは大騒ぎ。今思えば、東日本大震災のときの大騒ぎっぷりよりもマシだったかも知れません。

徐々に明らかになる情報、テレビに映し出された神戸の町、絶句!

報道写真全記録―阪神大震災

「なんやこれ…」思わずつぶやいてました。そこに映っていたのは倒れた高速道路、燃え上る神戸の町。まるで現実味のない風景でした。

幸い、ぼくが住んでいたところは大阪でも京都寄りの地域だったので、それほど大きな被害はありませんでしたが、それでも住んでいるマンションのエントランスに大きなヒビが入るほどでした。

その後、何日かは大学が休みになり学年末の試験も延期、ひそかに「ラッキー」と思いつつ、妹がビビっちゃって余震が耐えられないとか言ってたので一緒に居てやったりしました。

 

被災地へ

一旦、大地震の衝撃から落ち着いて、問題になってきたのが被災地へのルート確保。なんせギュッと詰まった都市だったので、あらゆる建物が倒れたあとはガレキだらけでとてもじゃないけど車なんか通れない状態。それで支援物資が滞り気味だったりしました。

そのころ、ぼくは割と有名な某パンメーカーの工場で働いていて、さらにバイクに乗っていたので「そうだ!バイクでパンを持っていこう!」と思い立ちました。ぼくは工場ではバイトの親分みたいなカンジになっていて、それまでも会社にも無茶を掛け合ったりしてたので「被災地に持っていくパンをちょうだい」とゴネにゴネまくり、持っていくパンを確保し、バイクにくくりつけて神戸方面に向かいました。

 

パンを受け取らない人たち

神戸では予想を上回る混乱っぷりで、ガレキを避けつつなんとか避難所についたのに、避難所のひとがパンを受け取ってくれなかったんです。

「この避難所だけ配給以外の食料を受け取ると他の避難所に居る人たちに申し訳ない」というのが彼らの言い分でした。

ぼくは信じられませんでした。

「そんなん関係ない、今ここにあるパンを食えよ」と言っても頑としてきかない。この人たちは、いざ食糧難になったらみんなで死んでいくのか、誰かが生き残る道は選ばないのか、不思議に思ったし、今でも不思議です。

何というか、平等って何だろう、と考える契機にはなりましたね。

 

地震は怖い

ぼくは阪神淡路大震災のあとから地震が少し怖くなっちゃって、少しの揺れでも「すわ!地震か!」と反応しちゃいますし、実際に地震がきたらマジ怖いと思っちゃうようになりました(表には出さないけれども)。

みなさん、いざというときのモノと心の準備は怠らないように。大地震はいつくるかわかりません。

あのときのぼくのようにノンキに徹夜でゲームとかしてたら、地震がきたときに眠くて対応できなくなっちゃいますよ。