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本能寺の変のあと、明智光秀は室町幕府の再興を目指してたのか?


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明智光秀が本能寺の変後に書いた密書が見つかったとかで、なんだか話題になっています。

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(画像掲載元:ファイル:Akechi Mituhide.jpg - Wikipedia

今回見つかった手紙の内容は、どうやら光秀が室町幕府15代将軍足利義昭と通じていて室町幕府の再興を目指しているというものらしいです。

本能寺の変

本能寺の変は、なぜ明智光秀がいきなり謀反を起こしたのか、今となっては知る由もないのでぼくのような勝手に想像するのが大好きな歴史ファンにはたまらん事件でもあります。

本能寺の変(ほんのうじのへん)とは、天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝、京都本能寺に宿泊していた織田信長が、家臣明智光秀の謀反によって襲撃された事件である。

信長は寝込みを襲われ、包囲されたのを悟ると、寺に火を放ち自害して果てた[12]。信長の嫡男で織田家当主信忠は、宿泊していた妙覚寺から二条御新造に退いて戦ったが、やはり館に火を放って自刃した。2人の非業の死によって織田政権は崩壊し、天下人となった光秀であったが、中国大返しで畿内に戻った羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れて、僅か13日後に光秀もまた同様の運命を辿った。この事件は戦国乱世が終息に向う契機となったので、戦国時代における最後の下剋上とも言われる。

光秀が謀反を起こした理由については、定説が存在せず、「日本史の謎」「永遠のミステリー」などと呼ばれ、様々な人々が多種多様な説を発表している。

引用元:本能寺の変 - Wikipedia

信長に重宝されていたとはいえ、考え方が違ったりパワハラの餌食になったりで光秀には鬱憤がたまっていたでしょう。でもだからといってあれだけ頭の良い光秀が衝動的な行動にでるのかどうか。逆に、だからこそ衝動的な行動にでたのかもしれませんが、つまりは良く分からない。

また、光秀がそんな大それた行動を起こすわけない、黒幕がいるはずだという考え方も有力であり、その黒幕は秀吉だー義昭だー家康だーって色々と説があります。

見つかった光秀直筆の手紙

一体、なんで本能寺の変は起こったんでしょうね?今回見つかった手紙は、その辺を明らかにするものになるのかもしれません。

三重大学の藤田教授が発表したこの手紙は、紀伊の雑賀衆である土豪・土橋重治(つちはししげはる)に宛てたもので、反信長勢力とともに室町幕府再興を目指す、という内容だそうです。

この手紙を藤田教授が現代語に訳したものが毎日新聞のサイトに載っていたので、転載させていただきます。

◆本文

仰せのように今まで音信がありませんでしたが<初信であることの慣用表現>、上意(将軍)への奔走を命じられたことをお示しいただき、ありがたく存じます。しかしながら(将軍の)ご入洛の件につきましては既に承諾しています。そのようにご理解されて、ご奔走されることが肝要です。

一、雑賀衆が当方に味方されることについては、ありがたく存じます。ますますそのように心得られて、相談するべきこと。

一、高野衆・根来衆・雑賀衆が相談され、和泉・河内(ともに大阪府)方面まで出陣されることはもっともなことです。恩賞については当家の家老とそちらが話し合い、後々まで互いに良好な関係が続くように、相談するべきこと。

一、近江(滋賀県)・美濃(岐阜県南部)までことごとく平定することを命じ、それがかないました。ご心配されることはありません。なお使者が口上で申すでしょう。

 

◆追伸=書状では冒頭にあり

なお、必ず(将軍の)ご入洛のことについては、ご奔走されることが大切です。詳細は上意(将軍)からご命じになられるということです。委細につきましては(私からは)申し上げられません。

引用元:明智光秀:密書の原本発見 本能寺の変直後、反信長派へ - 毎日新聞

義昭が京都に入るという事実があり、だから安心して味方してね、という内容で、藤田教授は「義昭との関係を復活させた光秀が、まず信長を倒し、長宗我部や毛利ら反信長勢力に奉じられた義昭の帰洛を待って幕府を再興させる政権構想を持っていたのでは」と話しているとのこと。

光秀は本能寺前からしっかり準備して信長を倒したあとの構想も考えていた、その上で信長を殺害し、その後のために着々と動いていた、ということでしょうか。

光秀あせってない?

以下、この手紙を見たぼくの感想を。

この時点での光秀について、ぼくは以前から、信長を殺したものの「これからどうしたらええんやろう?」と途方にくれてるんじゃないかな、と考えていました。

目の上のたんこぶは消した、しかしその後、頼みの細川と筒井は動かないし、なんか知らんけど秀吉はすぐ対毛利戦線から引き返してきてるし、ああーいったいどうすればいいの!?とパニクってるような気がします。

それで一生懸命、信長に戦々恐々としていたであろう各勢力にせっせと手紙を書いてます。今回見つかったのもそのうちのひとつじゃないでしょうか。なんといっても光秀が秀吉に敗れる「山崎の合戦」の前日に書かれた手紙ですからね。

「うわわわ、秀吉もう来た!誰か、誰か味方してくれる人おらんのか!あ、そうやアイツや、アイツに手紙を書こう!アイツにも、アイツにも、アイツにも!誰でもいいから味方してくれや!!!」

とかあせりにあせりながら急いで書いた手紙。つまり、そこに書いてある義昭の「ご入洛の件」ってウソじゃないかな、と思います。本能寺の変の前から義昭と光秀が打ち合わせをしていたという「義昭黒幕説」の徹底的証拠には、とてもじゃないけどならないなぁ、と。

最後に

いや、真相はもちろんわかりませんけど。

光秀だって戦国武将、野心は持っていたでしょうし、今さら足利将軍を担ぐ気もそんなに無かったと思います(ただし、傀儡にしようとは思ってたかも。だとしたら義昭あわれ)が、その計画を練る時間がなさすぎたんだな。

これからも光秀があちこちに書いた書状が見つかるかもしれません。しかし黒幕がいるとしたらその黒幕は証拠はきっと残していないでしょう。本能寺の変の真相は永久に謎のままなのかなぁ、と思わずにはおれません。

しかしだからこそ、色々と勝手に考えることができて面白いんですよねぇ。