2019年9月13日に公開となった三谷幸喜監督の新作映画『記憶にございません!』が話題です。
「記憶にございません」
なんという便利な魔法の言葉。これさえ言っておけば全てを乗り切れます。
とくに政治に絡んだ人たちが何かにツッコまれると言いがちです。百条委員会だろうが証人喚問だろうが、「記憶にない」と言っとけばオッケー。
では、この魔法の言葉を最初に流行らせたのが誰か、みなさん知ってます?
「記憶にございません」という言葉を最初に流行らせた男
「記憶にございません」という言葉を最初に流行らせた男、それは小佐野賢治という人です。
小佐野 賢治(おさの けんじ、1917年(大正6年)2月15日 - 1986年(昭和61年)10月27日)とは、日本の実業家である。国際興業グループ創業者。
この男、なかなかです。
戦時中に軍需省で財を蓄え、戦後は駐留米軍を相手にした事業でまたまたお金貯めて、有名ホテルを買いあさってまたまた儲け、その後田中角栄内閣のときには政商と呼ばれるほどの田中角栄との関係を築きました。政界、財界と暴力団の橋渡しをしてるとの噂も出て「黒幕」とも呼ばれた男。
あらゆる手段を使って富と名声と権力を手に入れる、ぼくは嫌いじゃないです、そんな男。
さて、そんな小佐野さんが「記憶ない」と言ったのはどんなときだったのか。
ロッキード事件
もしかしたら若い人は「ロッキード事件」とか言ってもわからないかも知れませんね。まぁ、ぼくも小学校に上がる前の話ですからね。
なんで、まずはそこからウィキ先生。
ロッキード事件(ロッキードじけん)は、アメリカの航空機製造大手のロッキード社による主に同社の旅客機の受注をめぐって、1976年(昭和51年)2月に明るみに出た世界的な大規模汚職事件のこと。
日本、アメリカ、メキシコ、ヨルダン、オランダなどの政財界を巻き込んだ戦後最大の汚職事件なわけですが、日本では田中角栄元首相が受託収賄と外国為替及び外国貿易管理法(外為法)違反の疑いで逮捕されました。
で、小佐野さんは田中角栄さんと仲が良かった政商ですから、「お前も関係しとるやろ」ってことで国会に呼ばれちゃいました。証人喚問ですね。
「記憶にございません」
この証人喚問のときに吐いた言葉が「記憶にございません」。とにかくこれの繰り返し。何聞かれても「記憶にございません」。
そして、なんせこの事件は戦後最大の疑獄事件であの田中角栄が関わってるってんで国民の注目もかなり集めていて、この小佐野さんの答弁もかなりの国民が聞いていました。それで「記憶にございません」という言葉が日本で大流行しちゃった。
でも記録によると、「記憶にございません」ではなくて、本当は「記憶がございません」「記憶はございません」だったそうで。
小佐野賢治の横顔
政商、黒幕なんて言われるような人物で、答弁も「記憶にない」とふてぶてしく言ってたもんですから、小佐野さんはまるで『スター・ウォーズ』のジャバ・ザ・ハットのような大物悪徳商人のようです。
でも、実際はそうでもなかったみたい。
小佐野さん、多くの倒産寸前の企業を立て直したりしてるんですけども、その際は一切「首切り」はしなかったそうです。
また、自分の会社のバスやタクシーに冷房がまだ付いていなかったことから、「運転手の皆さんが暑い中を毎日頑張っているのに冷房なんてとんでもない」といって本社屋にもエアコンをつけなかったとか。
さらに、朝は誰よりも早く出社し、やってくる社員全員に挨拶をしていたとかいう話もあります。
ビジネスマンとして、経営者としては素晴らしかったと言っていいんじゃないでしょうか。
最後に
「記憶にございません」
そんな40年ほど前に大流行した言葉が、国会界隈ではまだ流行ってるみたいで。
しかしながら、何事にも物事には裏があり、その裏は見せられないものであるわけで、それを感じさせつつ否定も肯定もしない「記憶にございません」という言葉はなかなか凄みのある言葉なのかも知れないなぁと思ったり。
ああ、使いすぎて凄みなんて薄れてるか(笑)