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ところで『真田丸』って何?


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2016年NHK大河ドラマ「真田丸」完全読本 (Nikko mook)

いよいよ始まりました、NHK大河ドラマ真田丸』。どうですか皆さん、観ましたか?ぼくはその時間仕事であり、ここのとこの大河ドラマのデキが「…」なので録画もせずスルーしてしまいました。

ところで、ドラマのタイトルにもなってる“真田丸”って何だかご存知ですか?今日は真田丸について書きます。

 

注意!

おそらくドラマのクライマックスに向けて重要な要素になります“真田丸”は。なので、ドラマをワクワクしながら観る予定で、しかも“真田丸”についてまったく知らないって人は読まないほうがいいかもしれません。

かつてブームになった『龍馬伝』の頃、ちょうど日本史で幕末を習った女子高生が坂本龍馬の暗殺を知り、「ネタバレだよね~」とか言ってたというご時世です。

そういう方は、ちょっとご遠慮願いたい。

 

大坂冬の陣

1614年、徳川家康の言いがかりにより、豊臣vs徳川の機運が高まり、豊臣方は主に関ケ原に負けた側の浪人たちを全国から集めました。

その結果、長宗我部盛親後藤基次(又兵衛)、明石全登毛利勝永などそうそうたるメンバーが集まったのですが、その中に真田信繁(以下、幸村)がいました。総勢10万。

しかし、大坂城内の意見は真っ二つにわかれます。堅固な大坂城に籠って戦えば家康もあきらめるだろうという籠城派と、積極的に打って出て畿内を制圧、近江の瀬田川で応戦するという交戦派に分かれるのです。多くの浪人たちはもちろん交戦派です。

しかし、大坂方は籠城策をとります。

 

真田丸

幸村は籠城すると聞き「何だよそれ!しょうがないなぁ!じゃあ城の外側に俺専用の出城を作って俺はそこで守るもんね!」と思い、その許可が下りると、堅固な大坂城で唯一防禦が薄い南側の平野口に出城を構築しました。

その出城こそ、真田丸です。

以後、幸村はこの真田丸で戦い、徳川方を散々に打ち倒していきます。

 

真田丸の大きさ、位置

真田丸の大きさは東西180mほどとされます。半円の形をして、前方と両脇に堀があり、前方には三重の柵を設けていたそうです。

位置については、大坂城に隣接していたとされたり、城からちょっと離れて孤立していたという説もあります。

 

まとめ

真田丸は、無名ながら自分の能力におそらく自信があった幸村が、自分の名を上げるために作りだしたといってもいいのかな、と思います。

元々大坂方は、浪人を集めたものの、彼らを心から信頼はしてなかったようで、幸村もそれを感じていたでしょう。だからこそ「そこで見てろ!」とあくまでも城の外で戦いたかったのではないでしょうか。

結果、幸村の名は天下に轟くことになります。それまでは真田昌幸の子ってだけでほぼ無名だった幸村がその時代の人々に知られ、また時空を超えて現代人にも人気となり、402年後の2016年に大河ドラマとなったわけです。

そう考えると真田丸ってスゴいでしょ。