2018年6月18日7時58分でしたか、大阪北部を震源とする地震が発生しました。亡くなられた方もおられます。まずはご冥福を心よりお祈りしたいと思います。
そのとき、ぼくはボケーッとテレビを観ていたわけですが、ニュースが入ったときにはめっちゃくちゃ焦りました。
震源がモロ実家。
ぼくは1995年の阪神淡路大震災と2011年の東日本大震災を両方とも経験していて、こんなことを言うのは直接的に被害を受けたわけではないので被災者の方に申し訳ないのですが、はっきりいって地震は怖いのです。
震源は大阪北部
速報を見ていると、震源地は「大阪北部」とあります。実家があります。
すぐにスマホを手に取り母に電話しました。繋がりません。実家の近くに住んでいる妹に電話しました。繋がりません。
テレビで見る限りは特に問題なさそうでしたが、母親の安否がわからないという状況は、それに耐えるのに苦心するレベルでした。東日本大震災のとき、ぼくと全然連絡付かなかった両親もこんな気持ちだったんでしょうか。
すぐにLINEしました。ほどなく返信がありました。LINEすげぇ。
阪神淡路も東日本も食らった身としては、大阪の母と妹が心配なのである(生存確認済み
— コバヤシマサキ@はてなブログ (@Masa_kobayasi) 2018年6月18日
母からのLINEによると、とくに問題はなさそうでした。ただ、親父の仏壇が倒れたと。「しっかり立ってろよな」とかいいつつ、とりあえず安心しました。
まだ死ねない
2011年の東日本大震災のとき、そのときぼくは仕事だったのですが、営業で普通に外を歩いていて立っていられないほどの物理的な衝撃を受けました。そして、当時まだ小学生だった子供たち、そしてカミさんのことを思いました。家族、大丈夫か。
電話もつながらず、メールも届かず、あとから考えれば大げさなんですけど、「生きててくれ」と思ってました。そして、この災害は自分にも直接降りかかってくるかもしれない、と思いました。まだ死にたくないとも強く思いました。
きっと子供たちにはまだまだぼくが必要なはずだ、だからまだ死にたくない。
今回も、それを思いました。
子供たちはもう随分大きくなったし、イザとなったら息子たちにカミさんと娘を託せるとも思っています。しかし、まだだ、まだ子供たちにやることも出来ることもある、だからまだ死にたくない。
きっと、どれだけ年を重ねても、どれだけ子供たちが大きくなっても、ぼくが親である限りこの思いは消えないんだろうと思います。
東日本大震災のときの両親
で、あるならば。
おそらく、東日本大震災のとき、ぼくの両親は離れて暮らすぼくのことを心配していたに違いないのです。
妹は近くに住んでいるので安否確認もすぐにできたでしょう。ただ、ぼくとの連絡がつかない状態で、ぼくの父と母はぼくを本気で心配してくれていたと思います。
翌日には、食糧や乾電池を送ってくれました。コンビニやスーパーに物が並ばなかったので、非常に助かりました。
あとで母に聞いたのですが、父がすぐに買い物にいき、買ったものをダンボールに詰め、送ってくれたそうです。ガンに侵された体で。それは、間違いなく、ぼくが彼らの子供だからです。
あと1年で40歳になるという息子にも、そうなっちゃうんです。親ってのはそういうもんです。今回の大阪の地震で、ぼくは身をもって知ることになりました。
親は、もう子供が死ぬまで親なんです。
最後に
今回の地震で大変な思いをされている方も多いのに、遠くからこんな呑気なことを書いていて申し訳ありませんが、この気持ちは書いて残しておきたかったのです。
人間、お互い存在してナンボです。頑張ろう。