先日、仕事で群馬県は安中市に行ってたんですが、Googleマップをチェックしてたら安中榛名駅近くにこんなものを見つけました。
赤穂義士四十七士石像!?
赤穂義士ってあの!?忠臣蔵の!?なぜこんなところに!?
これは見に行かなければなるまい、と仕事そっちのけで見に行くことにしました(仕事しろ)。
赤穂義士四十七士石像見学ツアー
で、行くには上の画像のGoogleマップで石像の右側にあるPマークが駐車場で、そこから徒歩なんですけども、歩くと割とありますよ、これ。結構過酷だったのでその記録を記します。
え?ここに?ホントに?
県道48号から曲がっていきなり急斜面の道を登っていけば駐車場があるんですけども、そこには誰もいなければ何もない。
ただただ「こっちですよ」という看板と怪しいけものみちが口を開けているだけです。
え?この奥にあるんですか?入っちゃって大丈夫?
しかし「元助遺跡義士石像」と矢印があるので間違いないんでしょう。ていうか元助って誰?
まぁとにかく行くしかありません…と一歩踏み出すといきなり顔面にクモの巣が!鬱陶しい!あんまり人来てないんだろうなぁ…。
と進んでいくとずっとこの調子。
うーん、これはなかなかオッサンにはキツい。歩くごとにクモの巣がまとわりつくし、ちょっと止まると待ってましたと一斉に蚊が飛んでくる。落石に注意とか書いてるし。
謎の地蔵?
ちょっとずつ登っていくと、巨大な岩をくりぬいたようなところに石像が見えたので、おお着いたか、と思ったら少し様子が違いました。
うーん、これはお地蔵さんかな?少なくとも四十七士ではなさそうです。
朽ちてるのがなんとも薄気味悪い雰囲気。山の中でひとりこれを見るとなかなかゾッとしましたよ。
どうやら、四十七士石像はここからさらに100m奥らしい。
ついに発見
ここまで来るのに結構足がガクガク来てるんですけど、ここまできたら引き返すわけにもいきません。気合です気合。
ハァハァ息を上げながら進むオッサン。容赦ない山道。したたり落ちる汗。滑る足元。飛来する蚊、蜂、虻。身体にまとわりつくクモの巣。
絶対に夏に来るもんじゃねぇ!
なんてひとり叫んでフト前をみると、発見!
どうやらあそこで行き止まりっぽいし、あれだろう。
もしかしたらこれ、岩肌をくりぬいてるんじゃないだろうか。スゴいなぁ。
赤穂義士四十七士石像と対面
やっとのことで到着し、石像とご対面となりました。
本当にズラリと並んでいます。圧巻です。
本当はちゃんと1体ずつゆっくり見たかったんですけど、なんせ止まると蚊がスゴいので止まれず。
結局ダッシュで見てダッシュで帰るハメになりました。蚊め。
なぜ安中に赤穂四十七士の石像があるのか
そんなわけで、赤穂義士四十七士石像は小さいながらも圧巻だったんですけど、そもそも一体なぜ赤穂浪士の石像が安中の山中にあるのか非常に不思議ですよね。
その由来も書かれていました。
この石像を建立した人は元助という人物で、義士のひとりである片岡源五右衛門の下僕だった人です。
四十七士の供養のため、20年の歳月をかけてこの47の石像を建立したそうです。
ほお、なるほど面白い。
面白いのでもうちょっと調べてみると、元助は上州下秋間に百姓の家に生まれたみたいですね。
父が再婚して継母とうまくいかず家出してわずかなお金をもって伊勢神宮を目指したそうです。いわゆる伊勢参りですが、到着前にお金を使い果たした元助は乞食同然のことをすることになります。
それで「新参者が許可もなくナワバリを荒らすな」と他の乞食にいじめられているところに通りがかったのが浅野内匠頭の代参で伊勢神宮にきていた片岡源五右衛門。片岡は元助を助けて自分の下僕とし、赤穂に連れ帰ったそうです。
『忠臣蔵』の討ち入りの前夜には片岡は元助に解雇を言い渡しましたが元助は聞かずに泣きながら自殺すると言ったそうです。そこで片岡はその忠心を認めて討ち入りを打ち明けましたが、お伴をすることは許しませんでした。
義士が本懐を遂げて切腹をしたあと、元助は故郷に戻ってきて剃髪し山に籠り、この石像を建立したとのことです。
なるほどそれで安中の山中に赤穂義士四十七士の石像があるわけですね。面白い。
最後に
この石像は、安中市東上秋間岩戸3197にひっそりと建っています。興味がある人は是非行ってあげてください。
ただし、夏は避けた方がいいかも。書いたとおり蚊とクモの巣がヒドい。冬も多分雪で足元がおぼつかなくなりそうなので、行くなら春か秋でしょうかね。