今年の初詣は、いきり立つことなく近所の神社で済ませました。ちなみにお稲荷さんです。
そこで、偶然こんなものを見つけたんです。
うわぁ!これは力石!
ちなみに「ちからいし」と読みますね。「りきいし」じゃないよ。
ちなみにみなさん、力石って知ってます?
日本各地の神社やお寺、昔からある公園などに割と置いてあったりしますが。
力石(ちからいし)とは
みなさんの近所には、お祭りのときに大きな重い石を持ち上げて力比べをするイベントをおこなう神社仏閣とかあるでしょうか?なくてもテレビでそういう行事を観たりしたことありませんか?
要は、力石っていうのは、その行事で使われる大きな重い石のことです。
力石(ちからいし)は、力試しに用いられる大きな石である。日本では鍛錬と娯楽として、江戸時代から明治時代まで力石を用いた力試しが盛んに行われた。磐持石 / 盤持石 / 晩持石(ばんもちいし)、力試し石(ちからだめしいし)など地方によって様々に呼ばれた。また、伝説的な人物が投げたと言い伝えられる力石も各地にある。
引用元:力石 - Wikipedia
力石による力比べは、江戸時代にはかなり流行っていたようです。
そのころの被支配階級である農民にとっては「力」が稼ぎに直結していましたから、例えば村一番の力持ちとなればイコールそれは村で一番稼ぎが多いということになり、「力」は名誉だけでなく実務的に優秀だという証でした。だから、一番の力持ちを認定する必要もあったんでしょうね。地域によっては、一番力に秀でた人は村一番の美人の娘さんを娶ったりするところもあったようです。
力石による力比べは、昭和初期までは各地で行われていたようですが、時代が進んで労働の資本がカラダからアタマへ変遷していくにつれなくなっていったんでしょう。
桶川市稲荷神社の大盤石と三ノ宮卯之助
で、ぼくが発見した力石にはちゃんと説明が書いてあって、これがなかなか由緒正しいものだったようです。
桶川市稲荷神社の大盤石
読んでみると、この石は三ノ宮卯之助(さんのみや・うのすけ)という人が持ち上げた石で610kgもあるとか。特別重い石を大盤石と呼んでいるようですが、こう呼ばれている石は全国で4つしかないとのことで、なかなかスゴい石だったんですねぇ。
さらにいうと、この稲荷神社の石は、4つの大盤石の中でも一番重く、重量としては日本一ということになってます。スゲェ。
610kgなんてちょっと眉唾ですけど、住んでる者としてはちょっと嬉しい(笑)。
18年も徒歩10分圏内に住んでてこれを知らなかったのは歴史好きとしてはちょっと不覚です。
三ノ宮卯之助
そして、この重い思い大盤石を持ち上げた三ノ宮卯之助って人も力石界隈では有名人だったらしい。
三ノ宮卯之助は、武蔵国岩槻領三野宮村出身です。三野宮は現在は岩槻じゃなくて越谷市ですね。三ノ宮は苗字ではなく、三野宮村の卯之助ということで三ノ宮卯之助と呼ばれていたわけです。
元々は虚弱体質で非力で周りからバカにされていたそうですが、「このままで終わってたまるかコノヤロー」とトレーニングを積んで力持ちになりました。そして20代前半で近隣の力持ちを集めて力持ちの興行を始め、得意ワザは馬に乗った人が乗った舟を持ち上げる芸「人馬舟持ち上げ」でした(そのまんま!)。
そして、天保4年には時の将軍徳川家斉の御前で芸を披露、「御上覧力持番付表」で大関まで登りつめ、活動範囲も関東から甲信越、関西にまで及ぶようになります。しかし、大坂の力持ちを破って日本一になった日、興行主の宴会に招かれた帰りに急死してしまいました。これは毒殺説もあるようです。
卯之助が持ち上げたと銘が入っている力石は、ぼくが見た桶川の稲荷神社のほかに、富岡八幡宮や鶴岡八幡宮、川崎大師そして大阪の天満宮などに残っていて、三ノ宮卯之助は伝説の力持ちと言っていいでしょう。
最後に
力石ひとつとっても調べてみるとホント面白い。かさねがさね、近所にこんなのがあるのを知らなかったのは不覚です。
しかし思うのは、こういう発見があるから、近所をブラブラするのも大事だなぁと。ハッキリ言って、いい旅でした。カネかけて時間かけてワイワイするのだけが旅行じゃないってことですな。
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