三国志に綺羅星のごとく登場する人物の中で、毒舌といえば誰でしょうか(知ってる人はこの時点で名前出るね)。
正史では虞翻もなかなかのもんですし、諸葛亮なんかは口だけで人を殺してるほどですけど、三国志で毒舌といえばやっぱりこの人でしょうね。
禰衡
禰衡。「でいこう」あるいは「ねいこう」と読みます。字は正平(せいへい)で青州平原郡般県(山東省楽陵市) の出身です。
『後漢書禰衡伝』にはこう書かれています。
「少ク(わかく)シテ才弁アリ。才ヲ恃ミテ傲逸ス。而シテ気尚剛傲ニシテ矯ヲ好ム」
若いころから恵まれた才能が有って、でもそれを鼻にかけて人に対して傲慢で、奇矯な言動を好んだ、というわけです。
では、その彼がどんな人生を歩んだのか、書いていきたい。
禰衡のクレイジー人生
荊州
禰衡はその若いころに黄巾の乱の影響で青州から荊州に避難していました。
そのころから周囲と比べてずば抜けた天才であり、彼の性格からしてそれがために周りがバカに見えて仕方がありません。なので「俺は賢いんやぞ。お前らとは違う」といった態度を常にとっていて嫌われまくり、結局村八分にされて22歳のときに禰衡は荊州を飛び出します。
許都
196年、24歳で許都に入った禰衡は名刺(就職用)を持っていたものの「何で俺が人に頭下げなあかんねん」と誰とも会おうとしません。当然、収入はないので乞食同然に落ちぶれますが、才能を知っていてもこんな汚い嫌な奴を推挙してやろうという人はいませんでした。
2年が過ぎたころ、ある人がついに見かねて「陳長文(陳羣)とか司馬柏達(司馬朗)とかを訪ねてみたら?」と親切にも教えてあげました。すると禰衡、こう言いました。
「お前は俺に、豚殺しとか酒売りみたいな卑しい連中に、頭を下げろと言うのんか!?このタコ!」
せっかくの親切に対してこの言いざまは何でしょう(ぼくが書いたんだけど)!しかしこの人、スゲー親切だった人のようで「じゃあ、曹操さまや荀彧サン、趙融サンなら?世に抜きんでた人じゃない。」とさらに教えてあげました。
「は?アホか。曹操はそんなに大した人物ちゃう。文若(荀彧)は見てくれだけだから弔問に行くのがお似合いやし、稚長(趙融)はデブやから厨房で客を接待するのがお似合いやろが」
さらに「じゃあ誰がいいのか」と問われると、
「そうやな。年長者では孔文挙(孔融)、年少者では楊徳祖(楊修)がおるな」
屁理屈ばっかの孔融がいいとか、お似合いではありますね。
まぁ、こんな具合ですから、許都でもすっかり嫌われて、その分有名にはなりました。
太鼓
さて、この禰衡、実は太鼓が得意です。
許都の嫌われ者になってひとりぼっちになった彼がやったことは、大音量が出る太鼓を、連日連夜打ち鳴らすことでした。太鼓を鳴らしながら禁句、罵詈雑言をまくしたてる毎日。しかし、叩いてるときは面白がって見に来る群衆も、演奏が終わるとさっと帰っちゃう。投げ銭くらい寄越せバカヤロー、と叫んでも一銭も入ってきやしねぇ!
さすがに弱気になった禰衡、荊州に帰ろうと決意します。そしたら優しい人がいて、可哀想だから少しくらいは別れの宴会をもうけようということになりました。
宴会
宴会当日。いつまで経っても禰衡は現れません。約束の時間を過ぎても現れない。集まった人たちは「やっぱりああいう奴だ。宴会はやめにしよう」と言い合いましたが、ひとりが「いや待て。奴は来るだろう。いままで散々わしらをバカにしたんだから、仕返ししてやろう」と言い出し、結局、現れてもしばらくの間シカトしてやろうということに決まりました(これはこれで幼稚だね)。
そしてついに禰衡がやってきました。そしたらみんな誰も顔もむけないし話もしない。すると…。
禰衡は大きな声でワンワン泣き出したのです。
「あらら…ちょっとかわいそうだったかな」と思った人が「どうしてそんなに泣くんだい?」と聞いたところ、禰衡はサッと泣き止んでこう言いやがりました。
「物も言わんと動きもせえへんのは死人や。此処には屍体と棺桶が並んどる。死人の前では悲しむしかないやろ!」
ハイ、これで完全に嫌われた。もう荊州に帰るしかない。
そうなったときに、ついに来ました。招聘が。
孔融
禰衡の存在を知り、やってきたのは孔融。今までの数々の言動を見て、きっと俺と一緒に曹操にもの言える仲間になるだろうと思ってたんでしょうか。ちなみに孔融は散々曹操に面と向かってモノをいうから結局曹操に殺されちゃう人です。
しかし禰衡、仕官は断ります。孔融が何を言っても聞きません。
そうなると人材コレクターの血が騒いじゃう曹操も引き下がりません。孔融はきっと何度も両者の間を行き来したんでしょう、さすがに禰衡も断る理由をつけました。
「すんまへん。わて、キ○ガイになりまして~ん!」(最初からやろ!)
その後、禰衡は都大路に立って曹操を貶しまくりました。
大声でバカにされまくっている曹操はムカムカしてましたが、思い直しました。やっぱり才能はあるらしいし、孔融の推挙もあるし、人材集めるの好きだし、「面白い奴やだな。よし、無理矢理にでも呼んだろう。そしてギャフンと言わせよう」と太鼓の演奏を禰衡に命じました。そして、禰衡はそれを受けました。
「キ○ガイ治りました~」
曹操
当時、太鼓打ちはちょっとでも演奏を間違えたら、その場で服を脱ぎ、下着姿になってスゴスゴと奥に入り、服を着替えて最初からやり直すというルールがありました。そして、大概ちょっとは間違えるものです。
つまり、曹操は満座の前で禰衡に自分の至らなさを示させようとしたのですね。
賓客が多数招かれた音楽の大イベント、曹操は「間違えろ、間違えろ」とワクワクして禰衡の演奏を聴いていました。しかし、演奏は完璧です。聴いている人たちがウットリするほどの完璧な演奏。曹操は面白くない顔をしていました。
しかし、ここが禰衡劇場の始まりでした。
禰衡はわざと太鼓を打ち間違えます。
「あっ」事前に曹操にキツく言われていた審査員は「あ、間違えた!間違えた!」と指摘しました。
禰衡、周りを見回し、曹操をにらんだあと、衣服を脱ぎだしました。
「調子に乗るからだ馬鹿者め。誰が偉いか思い知らせてやる」曹操は満足でした。
ところが、衣服をすべてとって下着姿になった禰衡の手は、なおも止まりません。下着にも手をかけたかと思うと、ずるっとすべて脱ぎ捨てて仁王立ち!
ジャジャーン!
「いや~ん」
曹操は目にものを見せるどころか目にナニを見せつけられてしまったのです!
……このあと、裸のまま完璧な演奏を披露したということです。
「恥をかかそうと思ったのにこっちが恥をかいたわい」曹操はそういったそうです。きっとムカついてたでしょうけど、立場があるしねぇ。そして、人材コレクターの曹操にとってますます「欲しい」となったのは間違いなかったようです。
憤怒
その後、曹操の意をくんだ孔融が「お前は才能があるんだから仕官するまで大人しくしてろ。もう一回、機会を作ってやるからもう一度曹操に会え!」と何度も言ってくるので、禰衡はとりあえずもう一度曹操に会うことにしました。
「やった!こんどこそ召し抱えてやるぞ!」と意気込んだ曹操は禰衡をまるで恋人を待つかの如く待ちました。
しかし来た報告は、なんだか汚い格好の男が門前に座り込み、追い払おうとしても「曹操が待っておる」といってどこうとしません。殺しちゃいますか?というものでした。
「あいつ…何をするつもりだ…」すぐそれが禰衡だと気付いた曹操は門前に行きました。
禰衡は曹操を見るや否や、座りながら杖で地面を叩き、聞くに堪えない口調で曹操の悪口を並び立てました。
これには曹操怒りました。引き揚げながら「禰衡は小僧でスズメやネズミと同じように殺すのはたやすいが、ヤツには有名すぎる。殺せばワシに包容力がないという評判が立ってしまう。こうなったら荊州の劉表の元に送ってやろう」
劉表
キッチリ荊州まで護送された禰衡は、劉表には下手に出てうまくやっていたらしい。「言議、禰衡ニ非ザレバ定マラズ」とも記録されています。
しかし、それも長くは続きません。劉表の配下には相変わらずだったので、やがて劉表に讒言され(たとも劉表に直接言ったともありますが)、また、劉表が孫策への手紙を見せたときに
「これ、孫策の配下に見せるやつやろ。なってへんで」
と言ったこともあり、今度は劉表配下の黄祖の元にやられてしまいます。
黄祖
さて、黄祖はバリバリの武人で短気で有名でした。劉表はわざとそういう武将のもとに送り届けたのでしょうか。
禰衡は、はじめは大人しくしていましたが、すぐに化けの皮がはがれます。
客の面前で「おいおい、オッサン、それくらいにしとけや」と言ったのを皮切りに、罵詈雑言をまくし立てたらしい。短気な黄祖は即刻処刑を命じ、日ごろから禰衡を嫌っていた配下も「ほいさ」とすぐ応対したらしいです。その間、ずっと黄祖をののしり続け、これは黙らんなと思った伍長が羽交い絞めにしたまま体を絞め砕いて昇天させたとか…。
メリメリッ。
名声
享年26歳。その若すぎる死。一体禰衡とは何だったんでしょうか。
しかしその短い生涯は強烈なインパクトを人々に与えたらしく、禰衡の名は全国に轟き後世にまで伝わっています。
のちに、呉の孫権が胡綜から人物評を聞いているときに彼が引き合いに出されたといいます。
「巧妙な詭弁は禰衡に似ておりますが、才能の点では禰衡には及びません」
参照サイト
→禰衡 - Wikipedia
→まったく安心できない三国志の全裸男、禰衡(でいこう) | 三国志や曹操を分かりやすく紹介|はじめての三国志
→青年と処女・・・三国統一志
ぼくと禰衡
ぼくが禰衡のことを知ったのは光栄(現コーエーテクモ)の『爆笑三國志』によってです(やっぱりそっちか)。この本で知った人多いんじゃないでしょうか。
それで評判だったのか、光栄の歴史シミュレーションゲーム『三國志』シリーズには確か『Ⅴ』あたりから登場したような覚えがあります。
でも、活躍させるのは難しいですよね。
最後に
なんにせよ、これだけ強烈な人物はなかなかいませんよね。仲良くなりたくはないですが。
最近では、三国志関連のゲームやら何やらにも登場してるようでなによりです。