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ドナルド・キーンさんが死去。日本を愛してくれたことに感謝したい。

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2018年2月24日、日本文学者のドナルド・キーンさんが亡くなったというニュースがありました。死因は心不全だそうです。96歳でした。

ドナルド・キーンさんは日本文学を、そして日本を日本人と同じくらいかもしくはそれ以上に愛してくれた人物で、その著書などではただただ勉強させていただくだけだったんですが、悲しい。

ドナルド・キーンと日本

訃報を聞いてちょっと落ち込んでたぼくを見て、長男が「ドナルド・キーンってそんなに偉かったん?」とか言っていて、「そうかキーンさんのことってそんなに一般的には知られてないのか」と思ってザックリと長男にキーンさんのことを教えました。

その内容を書き残しておきましょう。ホントにザックリですけど。

ドナルド・キーン
(画像掲載元:ドナルド・キーン - Wikipedia

ドナルド・キーンさんはアメリカ出身の日本文学者で、日本文学と日本文化の第一人者でした。キーンさんほど日本文学を愛し、日本を愛してくれたアメリカ出身者をぼくは知りません。

たまたま手にとったアーサー・ウェイリーが訳した『源氏物語』に感動して日本語を学び始めて日本研究の道に入り、太平洋戦争時には海軍の日本語通訳官となり沖縄攻略作戦にも従軍しました。終戦後は京都大学大学院にも留学し、多くの文学者や作家と知りあったりしたようです。

2011年のいわゆる東日本大震災のあとに日本に帰化することを表明し、日本国籍を取得、本名を出生名の「Donald Lawrence Keene」から、カタカナ表記の「キーン ドナルド」へと改め、その後は日本に永住しました。震災の影響で多くの外国人が離日する時期にそうしてくれたことに、日本人は勇気づけられましたよね。

日本に帰化したあとは通称として「鬼怒鳴門(きーん どなるど)」と名乗ったりして、ユーモアのある人でもありました。これ、鬼怒川と鳴門海峡で自分の名前をあらわして、「怒」を2回読みます。知的で素敵。

日本についての著書を日本語でも英語でも多く執筆し、とにかく、日本の文学、文化、歴史、さらには能や文楽などの芸能を欧米に紹介して文化交流の真ん中にいてくれた人です。

ドナルド・キーンとぼく

さて、ぼくにとってのドナルド・キーンさんですが、これは申し訳ないけども何というか“司馬遼太郎の対談相手”という印象しかありませんでした。

キーンさんは司馬遼太郎さんと親交があり良く対談をおこなっていてその内容が書籍化されていたからです。ぼくがキーンさんを知ったのはそこからですから。

しかしキーンさんが司馬さん相手に語っていることはその辺の日本文学者や日本史学者よりもよっぽど理解の度が深く感じられ、「この人スゴい」と思うと同時に「何でこの人はこんなに日本を愛してくれているんだろう」と思っていました。そのころはぼくも若さの勢いで「日本はダメだ」「なんだこの国」とか思ってた時期でしたから、その視点と考察は逆に新鮮で、大げさに言うと「母国をもっと愛せよ」と言ってくれているようでした。司馬遼太郎さんは日本を誇りに思い愛しつつも、それゆえに逆に日本に軽い絶望を持っていましたから、その対比も面白かった。

それからいくつものキーンさんの著書を読みましたが、だからといってまだまだキーンさんほど日本を深く愛するまでには至っていない気がします。ぼくは生まれながらの日本人なのに。

だからなんだかキーンさんを見ると恥ずかしい思いをしていたことも事実です。キーンさんに「日本を愛していますか?」と問われたとしたら「いや、あなたほどでは…」と言わざるを得ないような…。

ぼくにとってのドナルド・キーンは、日本との接し方や日本の愛し方を教えてくれる先生みたいなものだったのかも知れません。

最後に

何だかウマくまとまりませんが、とにかく旅立つドナルド・キーンさんにこれだけはいいたい。

日本を愛してくれてありがとうございます。

合掌。