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めんどくさい原作厨

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めんどくさい原作厨、他でもない、ぼくのことです。

まあ、原作があっての作品を絶対に許さず、空気も読まずにけなしたりはしませんけど。原作に触れてからじゃないと他媒体での作品を体験することができないやつです。

いわばソフト原作厨。

原作厨とは?

さて、まず原作厨とは何なのかってところから。ぼくが考えてるのと違うかもしれないし。

原作にこだわり過ぎるあまり、他媒体・派生物・二次創作での展開に対し否定的な感情を持ち、その場の空気を弁えず批判・ネタバレ・暴言に走る者の蔑称

引用元:原作厨とは (ゲンサクチュウとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

うん、そうだねこんな感じだね。

さらにこういう人たちって「ここは原作では~」とか頼みもしないのに講釈をたれてくれたり、「あーなんでこうなっちゃうかなぁ。違うんだよなぁ」とか自分の解釈でしか見れなかったり、「なんだよコレ!こうじゃないよ!なってない!」とか怒り出したりしがちですよね。

原作から!

ぼくはここまでじゃないんです。黙ってますよ、基本。楽しんでる人の興を削ぐようなことは言いません。言いたくなっても言いません。我慢します。言うとしたら酔ったときくらい(アカンやん)。

我慢しますってところがソフト原作厨です。エライなーぼくちゃん。

ていうか、基本は原作を体験してないものには触れません。でもカミさんが見てたり、子供たち(特に娘)に「お父さんいっしょに見よー」とか言われたら我慢して見たりせざるを得ないんです。

さて、ぼくが「原作を体験してないものに触れない」理由をここで。

それは、その作品の核になるものは原作者の心の中にしかないと思っているからです。そして、これはいくら受け手が深く深く作品に入っていっても触れることはできないと思っています。感じることはできても触れられない。

そして、ぼくにとって作品を楽しむということは、その核に触れようとする戦いのことなんです。作品を楽しむことは、戦争だ!

しかし、二次創作になると、その核が薄まる。あるいは無くなる。これは絶対に避けられないと思っています。別にそれが悪いことってわけじゃなくて、原作を知った上でその違いをわかってたいんですよね。

自分でもちょっとめんどくさい。

なんでこんなになったのか

で、ぼくが何でこんなめんどくさいやつになったのか、ちょっと考えてみたんです。そしたらありました、思い当たるフシが。

話はぼくが小学生のときまでさかのぼります。

ぼくは良く図書室で本を読んでたんですが、あるとき、E・E・スミスの銀河パトロール隊シリーズ(これはスペースオペラというジャンルの形成に多大なる影響を与えた傑作シリーズです)の『レンズの子ら』というSF作品を読んでたら、なんとこれが『SF新世紀レンズマン』というアニメ映画になったんです。

その後、今度はミヒャエル・エンデの『はてしない物語』を読んでたら、またまた映画化され『ネバーエンディング・ストーリー』が上映されました。

「すげぇ!俺が読んだ本がすぐ映画になっちゃう!」

意味もなく興奮して両方とも観たんですが、原作とくらべて深く観れた気がしました。きっと気がしただけなんでしょうけど、一緒に観に行った友達よりも理解している!という優越感に浸れました。

おそらく、その辺が原因なんだろうなぁ。

最後に

あーめんどくさい。自分で自分がめんどくさい。

でもそんな自分が好き♡