どうも!コバヤシです。
本日3月10日はぼくの親父の誕生日です。松田聖子とおんなじです。
今日で75歳になりました。生きていれば。
5年前に亡くなったんです。
小さいころの思い出
ぼくが小さいころは家にいるときは昼過ぎまで寝ていて、ろくに遊んでくれなかったしどこにも連れていてくれなかったな。しまいにはぼくも妹も完全に諦めて「どっか連れて行って~」と言うことすらしなくなっちゃいました。
だから思い出といってもそんなになかったりします。
幼稚園のときに父親参観に来てくれたこと(唯一。小学生のときはただの一度もこなかった)と、小学生のときに2回だけキャッチボールをしたことは強烈に覚えています。なんせ回数が少ないから大したことじゃなくても思い出も濃い。
思い出を強烈にするために何もしてくれなかったんだろうか。そんなワケないか。
親父のせいでぼくは曲がった
親父はいわゆる転勤族で、関西と関東を行ったり来たりしてました。なので、子供のころから我が家は引っ越しが多かった。
で、ぼくが中2の夏休みに埼玉から大阪に帰るカタチで引っ越したんですが、そのときの学校のクラスがぼくにとってすごく良かったんですね。クラスメイトの誰とも離れたくなかった。もう大事なモノから引き裂かれた気分。
今となっちゃなんてことないことなんだけど、そのときのぼくは親父を恨みまくった。親父のせいで友達と離れ離れになってしまった、絶対許さねぇ!みたいな。
それで、14歳のそのときから25歳くらいまで、親父とは一言も話さなくなってしまいました。こじらせたなぁ。笑える。
埼玉で一人暮らしを始めるとき、家を出るときに一言二言はしゃべった。今になるとわかるけど、そのとき親父はもっとしゃべりたそうだった。だけどそれを振り切って別れちゃった。
親父に言われた強烈な一言
で、埼玉で勝手に結婚して勝手に子供作って。長男が1歳になるころだったろうか、一度結婚の報告がてらカミさんと長男を連れて実家に帰りました。
久々に顔を見たけどやっぱりしゃべれなくって。夜になって親父から「飲みに行こう」って誘われて、誘われるまま一緒に飲みに行った。久しぶりに並んで歩いて、縮んだなぁとか漠然と考えてたんだけどね。
で店についてしばらく無言のまま並んで酒飲んでたんだけど、そのときにポツリと言い放ちやがった。
「お前は育て方を間違えた」
うるせーよ面と向かって言うんじゃねーよと思いつつ、そんなことわかってたから「知ってるよ」って答えときました。
ガンになった親父
それからまた数年が過ぎて、親父がガンを患ったんです。でもまぁ、まだ時間的余裕があるらしかったから、仕事も忙しかったし最初に手術をするときは会いに行きませんでした。
その後、結局ガンが体中に転移しまくって、倒れたり手術したりするたびに実家に帰るようになったんだけど、会うたびにぼくと親父は話しまくりました。まるでそれまでの話さなかった時間を取り戻すかのように。会うたびに小さくなっていく親父の身体をみるのは辛かったけど。
5年前の正月は親父もちょっと無理して酒飲んで。そのころにはもう症状はかなり末期だったから、多分一緒に飲むのはこれで最後になるだろうなとか思いながら。
妹からの訃報
5年前の5月、妹から携帯に着信。もうそれだけでわかりました。親父が死んだ。
「あ、お兄ちゃん?お父さんが、……死んだで」
「あ、そう。じゃ、帰るわ」
そのときの会話はそれだけだったような。
聞いただけだと実感が沸かず、それでも事実だけは受け止めることは出来てるんだけど、なんかフワフワしてて何も考えられないし悲しむことが出来ない不思議な感覚がぼくを支配してました。
急いで実家に戻って対面したときに、初めて涙出た。
辛気臭い話してごめんちゃい
あぁあぁ、すみませんね、ヘンなこと書いちゃって。
親父が死んで5年だし、『コバろぐ』始めて最初の親父の誕生日だから買いとこうと思って。今回だけ許してちょうだいな。
育てられてるときは分からなかったけど、ぼくが子供持って育ててみて、最近は親父のぼくへの接し方の意味がおぼろげながらわかるようになってきたんです。そして、今になって親父のカッコよさに参ってるんだよなぁ。もういないからぼくが勝手に美化してる部分もあるんでしょうけどね。
それにしても、今日は1本目の記事がジョージ・マーティンの訃報だったし、今までで、おそらくこれからを合わせても『コバろぐ』で最も辛気臭い日ということになるんでしょうなぁ。
辛気臭いからハリウッドザコシショウ貼っとくわ。
ではまた。