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小林一茶性豪伝説!こ、これはなかなかスゴイ…

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一茶俳句集 (岩波文庫)

みなさんは、小林一茶をご存じでしょうか?江戸時代を代表する俳諧師ですよね。

「やせ蛙まけるな一茶これにあり」とか、どことなくほのぼのした俳句で知られていますが、彼、なかなかの性豪なんですよムフフ。

小林一茶って?

小林 一茶(こばやし いっさ、宝暦13年5月5日(1763年6月15日)- 文政10年11月19日(1828年1月5日))は、江戸時代を代表する俳諧師の一人。本名を小林弥太郎。別号は、圯橋・菊明・亜堂・雲外・一茶坊・二六庵・俳諧寺など。

引用元:小林一茶 - Wikipedia

小林一茶は、1763年に今の長野県の農家の息子として生まれました。3歳のときに母親を亡くし、8歳で継母に育てられましたが馴染めず、1777年、江戸に奉公に出ます。

そして25歳で二六庵竹阿(にろくあんちくあ)に師事し俳諧を学び始め、29歳で故郷に戻るもすぐに近畿、四国、九州を俳諧のために歴遊。

39歳で帰省したときに父が病死、以後、継母と異兄弟を相手にして遺産相続を争います(結果、遺産の半分をゲット)。父の発病から亡くなって初七日までを描いた『父の終焉日記』は私小説のはしりともいわれています。

一茶の句は、やさしい弱者への視点からのほのぼのとしたものであり、国語の教科書にも載るほどですから、比較的みなさんにも馴染みがあるんじゃないでしょうか。

小林一茶性豪伝説

さて、そんな小林一茶、一番最初の結婚は52歳でした。かなりの晩婚です。そして晩婚だったが故か、かなり夜のナニを頑張ったご様子です。まるで遅れを取り戻そうとしているかのような…。

日記に記された、その回数

その回数について、なんと一茶は日記にも残しています。

8月12日 夜3回、8月15日 夜3回、8月16日 昼夜3回、8月17日 夜3回、8月18日 夜3回、8月19日 昼夜3回、8月20日 昼夜3回、8月21日 昼夜4回という風に(出展:小林一茶は日記に24歳年下の妻との性交回数を記していた | 江戸の性)。

す、すげぇパネェ…。

こんなにスゴくて、結婚する52歳まではどうやって処理してたのかしらん。

一人目の妻、きく

さて、52歳で結婚した一茶のお相手は28歳のきく。年の差24歳!若すぎる妻を得て俄然頑張ったんでしょうか。

きくは37歳で亡くなってしまいますが、一説には、その激しすぎる営みのせいで過労死してしまったとか。栄養水準が低かった当時、房事過多で衰弱してしまうことは割とありましたしね。

二人目の妻、雪

一茶は62歳のときに二人目の妻を迎えます。雪さんです。

雪さんとは不仲で離婚しちゃいますが、その原因こそが多すぎる夜の営みだそうです。そりゃ、あの日記に書かれた回数だと「ちょっと勘弁して」となるのも無理はないところでしょう。

三人目の妻、やを

雪さんと離婚した一茶、今度はやをさんを迎えます。

やをさんともかなり激しかったらしく、一茶は65歳で亡くなりますが、正に死の直前まで営みを続けていたそうですよ。

58歳のときに脳卒中で半身不随になったのに、それでも飽くなき性への欲求。スゴすぎですわ…。

最後に

まぁ、だからといって数々の遺された俳句の朴訥さ、やさしさは無くなるもんではありませんし(フォロー)、まぁいいじゃありませんか。

最後に、ぼくが一番好きな一茶の句をひとつ挙げてしめましょう。

名月をとってくれろと泣く子かな

一茶俳句集 (岩波文庫)

一茶俳句集 (岩波文庫)