日本を代表する俳人、歌人の正岡子規の未発表の俳句が5句、見つかったというニュースがありました。
正岡子規の「歳旦帳」に最晩年の未発表俳句5句 | NHKニュース
ことし生誕150年を迎える俳人、正岡子規が亡くなる前年に書いたと見られる未発表の5つの句などが記された帳面が、新たに見つかり、調査に当たった専門家は、最晩年の子規の俳句の特徴がうかがえる貴重な資料だと指摘しています。
ああ、そうか。生きてれば今年150歳になるのか。うん、確かに新しい句が出てきて、それは貴重な資料にはなるでしょうね。
正岡子規ってどんな人?
「ああー、知ってる!教科書のこの写真にいっぱい落書きしたー!」って人多そうですが(ぼくもです)、それは無礼ですぞ。確かにこのご尊顔は落書きしやすいんですけどね。
正岡 子規(まさおか しき、1867年10月14日〈慶応3年9月17日〉 - 1902年〈明治35年〉9月19日)は、日本の俳人、歌人、国語学研究家。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。
俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面に亘り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治時代を代表する文学者の一人であった。死を迎えるまでの約7年間は結核を患っていた。
引用元:正岡子規 - Wikipedia
正岡子規は、その短い生涯で俳句と短歌を改革して、近現代文学界においてはそれらはどこに向かうべきか、方向性を示した点で高く評価されています。
日本の文学を語る上では忘れてはならない人ですから覚えときましょう。
発見された俳句
今回発見された句は、明治34年の正月の芳名録のような『歳旦帳』という冊子の隅っこに書かれていたそうです。
『歳旦帳』は東京の「子規庵保存会」に3年前に寄せられたもので、この中の無記名の5句が調査の結果どうやら子規のものだということになったらしい。
ちなみに、新しい子規の句はこんなの。
「寝後れて新年の鐘を聞きにけり」
「暗きより元朝を騒く子供哉」
「うらうらと初日の影や枯木立」
「初夢や巨燵ふとんの暖まり」
「留守の戸に名刺投込む御慶かな」
んー、このときは子規は多分ほぼ布団から出ない生活だったと思いますけど、そこから目や耳で感じる正月の様子が伝わってくるようです。子規らしい句だなぁ。
新しい発見は結構ですけど
こういうのが新しく発見されてもっと子規を楽しみたいと思うのが正直のところなんですけど、ちょっと引っかかるところがあるんですよね。
海外の作曲家の未発表曲とか、某漫画家のイラストとか、未発表の作品が出るたんびに思うんですけど、これもしかしたら発表したくないから未発表なんじゃないかなーとか、余計なこと考えちゃうんです。
つまり、今回の子規の句だって、本人は「ちょ、やめてくれwww発表すんなwwwイマイチやから記名しなかっただけやねんてwwwちょwww」とか思ってるかも知れません。
もちろん、子規の死後を生きてきて、今現在、子規の俳句に感銘を受けてる人たちからすれば本人が何と思おうと貴重なのは変わりありませんし、本人が一体どこがイマイチと思ったのか、とか仮定からでも考えるのは楽しいし重要でしょう。
わかるんだけど、何というかそっとしといてあげたいなぁ、なんて気持ちも個人的にはあります。
最後に
もちろん、逆もありえますけどね。
「うっひょーwwwやっと見つけてくれたなコノヤロ。分かりやすいとこに書いといたのにwww頼むでホンマにwww」とか言ってる可能性もあるし。
ぼくらとしたらそれは知る術がないわけで、だからもう、こんなこと考えるのは無駄なのかも知れませんね。子規の新しい句は、子規の意思にかかわらず、貴重な資料なのは間違いないので。