どうも!コバヤシです。
先日、こんな記事を読みまして。
→はっぱ隊の曲を聞くと涙腺が崩壊する私はどこかがおかしいのでしょうか - イケメン息子とぐうたら猫の成長見守りブログ
ぼくもこれに関しては、大いに納得するところがございまして。無駄なほどに全力ポジティブな歌なんですけど、もうそのポジティブさが感動モノなのです。
てくてく歩く1年生を見ると何で涙腺が緩むのか
この記事に対して、ぼくはこんなコメントを入れさせていただきました。
はっぱ隊の曲を聞くと涙腺が崩壊する私はどこかがおかしいのでしょうか - イケメン息子とぐうたら猫の成長見守りブログ
わかる人です。もうね、生命が愛おしいんです。小学1年生がひとりで歩いてると泣けません?
2016/10/09 20:11
このブコメに対してそれなりのスターを頂いたので、今回はこの辺を考えてみようとしてみるやつ。
てくてく歩く1年生
学校が終わって家に向かって歩いている小学1年生、彼らを見るとウルっとくるのは確かです。
彼らは、その小さな体に対して大きなランドセルを背負い、てくてくと歩いています。ぼくはそこに“生命”を感じるんです。儚い“生命”を。
意識しないまでも、彼らは一生懸命歩いています。一生懸命自分を守護する親の元に戻ろうとしています。その行為がヤバい。それはまさに生きようとする運動です。それでいて、生を疑っていない。だから、純で儚く美しい。感動する。
その辺がおそらく、はっぱ隊の『YATTA!』と通ずるモノがあるんだと思います。
だめだ全然まとまらない(笑)
もう観られない『はじめてのおつかい』
その健気さに感動する、という点では、結構人気のテレビ番組『はじめてのおつかい』もいっしょです。
ご存知、小さな子供がひとりで初めてお使いにいくという内容ですが、これがもうダメ。
「あぁっ!危ない!」「がんばれがんばれ」とか言いつつ、涙が勝手に流れてきます。一度、娘にそれつっこまれました(ぼくに似てエゲツないツッコミをする娘)。それ以来、家族の前では『はじめてのおつかい』観てません観られません。
子供がいるのが原因かな
これってもしかして、自分に子供がいるのが原因なのかな、とか最近思ってます。つまり、てくてく歩く小学生に、かつての自分の子供の姿を重ね合わせていたりする。こんなに儚げだったかなー大きくなったもんだなーとか。それで感動するだけじゃなく涙も発動されるのかも。
『はじめてのおつかい』なんて、自分の子供が生まれる前と後でみかたが明らかに違いますから。
ずっと「他人の子供が買い物に行くだけの番組なんて、一体何が面白いのか」とか本気で憤慨してましたから。それが自分に子供が出来た途端あの体たらくですから。
そうだとすると、ぼくの場合は 「自分に子供がいなかったら生命の儚さにも気付かないしょーもない人間」なのかも知れません。それはあり得る。
最後に
うーん、まとまってないな(笑)
グダグダ生命だ儚さだ子供だ言っといて、オッサンになって涙腺緩んでるだけちゃうんか、とも思わなくはないカンジ。
ではまた。