大器晩成、いい言葉です。
失敗して人に責められたときに「だってホラ、ぼくってば大器晩成だから~」とか言って逃げることができちゃいます。ただし、相手は「あ、そうなの。じゃあしゃあないな~」とならないのが玉に瑕ですが。
というわけで、「大器晩成」という言葉についてです。
ぼくは大器晩成らしい
ぼくの名前、大器晩成型とされるらしい。ぼくの両親がちゃんと姓名判断してつけてくれたそうです。ありがたやありがたや。
別に姓名判断なんざこれっぽっちも信じる気にもなれないわけですが、親の気遣いがありがたいじゃないですか。
ぼくだって、信じてないけど自分の子供の名前を決めるのに姓名判断はしましたもん。親ですから、あらゆるものを使って子供を幸せにしたいですもの。
それにしても、ぼくは大器晩成なのに44歳になってもまだ「成」がやってこないんですけどどうなってますか?
大器晩成の意味
大きな器は完成するまでに時間がかかることから、真に偉大な人物も大成するのが遅いということ。大人物は遅れて頭角を現すということ。才能がありながら不遇である人に対する慰めの言葉としても用いる。▽「大器」は偉大な器量をもつ人。「晩成」は多くの時間を費やして成就すること。
うん、やっぱりぼくもそろそろっぽいですね。
「あの人は大器晩成だから」と言われておけばとりあえずその場はオッケーで便利な言葉ですよホントに。
大器晩成の出典
この「大器晩成」という言葉、出典は『老子』です。
『老子』の41章に「大方無隅、大器晩成、大音希聲、大象無形」という言葉があります。
大きな器は簡単には出来ない、時間がかかるんだ、という解釈がなされています。そこから転じて偉大な人物は才能を表すまでに時間がかかるという意味になったんですね。
全体を解釈してみる
しかし、「大器晩成」というところだけ切り取ったらそういう意味でいいんでしょうけども、都合よくそこだけ切り取らずに「大方無隅、大器晩成、大音希聲、大象無形」全体を見て考えてみるとどうなるでしょうか。
これを書き下すと「大方は隅無く、大器は晩成し、大音は声希く、大象は形無し」。
さらに砕いて書くと「大きな四角形は角が無い(ように見える)、大きな器は遅く出来上がる(ように思える)、大きな音は聞こえない(ように思える)、大きな形は形が無い(ように見える)」となります。
つまり、「大きすぎて認識できない」ということが書いてあるわけですが、本当は老子は「認識されない=意味がない」ということが言いたかったという説もあるそうです。けっこう天邪鬼ですからね、老子は。「明るい道は暗く見える」とか言い出すジイさんですから。
「認識されない=意味がない」ということは、「大器晩成」でいうと「大きすぎていつまでたっても完成しない=未完成といっしょ」とかいう解釈になっちゃいます。
マジかオイ。
最後に
つまりは、「才能あるけど自分は大器晩成だし」と言い訳している人は、要するに「才能無いのといっしょだし」と言ってるのと何ら変わりがない、ということです。
そうか、だからぼくは48歳になっても「成」らないのか!合点がいきました。トホホ。
「大器晩成」という言葉に逃げずにやることやっとかないと、歳を重ねるごとにヤバい状況になってしまいますよ。なんたって未完成品なんですから。
ぼく?ぼくはもう手遅れです。みんな頑張れ。