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映画『タイタニック』の感じ方が変わってジェームズ・キャメロン監督に謝りたくなった

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1997年に公開されたジェームズ・キャメロン監督の映画『タイタニック』。

主演のレオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットにとっても代表作といっていいんじゃないでしょうか。

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大ヒットしたこの映画について、ぼくのみかたが180度変わったってハナシ。

今までの、ぼくにとっての『タイタニック』

ぼくはまぁ積極的に映画を観るほうではないのですが、観た映画の中でもこの『タイタニック』はハッキリ言うとかなりキライでした。

ただ単にぼくが天邪鬼で、ヒットしてる作品は映画に限らず毛嫌いする傾向があり、それだけの理由で「嫌いだ」って思っちゃうことは認めます。若い頃は今よりそういうのひどかったし。「できるだけ大金と技術を投入しても大作はできても傑作はできないのだ」とか言って『タイタニック』と『ファイナルファンタジーⅦ』を引き合いに出すのは常套手段でした。

でもこの『タイタニック』の場合はそれだけではなく、他に「イヤだな」と思わせるものがありました。

つまり、ぼくは「あれだけの歴史的な大きな事故をチンケなラブストーリーの舞台にしやがって」って思ってました。バカなことに、「なんだジェームズ・キャメロンもそんなの撮っちゃってヒヨったんか」とかまで言ってたりしました。

そして、今までその色眼鏡を通してしか『タイタニック』を観てこなかったのは事実です。

ナショナルジオグラフィック『タイタニック号:最後の謎に迫る』

そんなぼくが、ホントたまたま『タイタニック号:最後の謎に迫る』というナショナルジオグラフィックのテレビ番組を先日観たんです。ホントたまたま。

『タイタニック号:最後の謎に迫る』は、映画『タイタニック』の公開20周年を記念して作られた特別ドキュメンタリーなんですが、結論から言うとあれだけ『タイタニック』が大嫌いだったぼくが、「『タイタニック』またちゃんと観なアカンな」と思っちゃいました。

この作品に対するジェームズ・キャメロン監督の態度が、もう素晴らしいんです。素晴らしいと同時に、鬼気迫るモノがありました。それは番組に寄せたコメントにも表れています。

映画「タイタニック」の脚本を書いて監督すると決まった時、可能な限り細かいディテール、そして沈没直前の恐ろしい最後の数時間を忠実に再現しようと決めた。歴史を映像として蘇らせるという意味。そしてこの事故で亡くなった被害者の人々に対する畏敬の意味も込めて、事実に正確でいる必要があった。でも、この映画は果たして本当に歴史に忠実だったのだろうかと未だに疑問に思う。それをナショナル ジオグラフィックと最新の研究データから、解明してくつもりだ。

引用元:タイタニック号:最後の謎に迫る|番組紹介|ナショナル ジオグラフィック

この番組によると、ジェームズ・キャメロン監督は『タイタニック』撮影前と撮影中はもちろん、公開してからもタイタニック号に関する調査を続けていたそうです。そして、自分が撮った映画が正しかったのはどこか、正しくなかったのはどこかを常に探しているようでした。

ジェームズ・キャメロン監督のこだわり

この番組を観て「また『タイタニック』を観たいな」と思ったのは、キャメロン監督の「事実に対するこだわり」がわかったからです。

もちろん、沈んでしまった船ですから、真相はどうしてもわかりません。わかりませんが、できるだけ真実に迫ろうとするキャメロン監督の思いが伝わってきたからです。

そのいくつかを書きだしてみたいと思います。

登場人物

映画に登場する「その他大勢」の人々。キャメロン監督は彼らのバックボーンをなるべく知ろうとしてました。

例えば、映画に手鏡を持った母と娘がチラッと出てきます。彼女たちは、監督が沈んだタイタニックを調査した際に見つけた、並んだ女性用の靴2組と、そのそばにあった手鏡が元となっています。

また、「女子供が全員救助ボートに乗るまでは自分は乗らない」と言っていた老紳士と、そんな彼を置いていけないといっていた奥様。2人は結局ベッドの上で船とともに沈むことを決意しますが、これは彼らの子孫の方からの証言によって“再現”されています。

その他の乗客についても出来るだけ遺族の方々と会い、現場を検証してキャラクタが生まれてきています。おそらく監督は全ての乗客について知りたかったんじゃないでしょうか。

タイタニックの沈み方

キャメロン監督は、自分が描いたタイタニックの沈み方を一番気にしているようでした。映画では真っ二つに折れて前のほうは垂直に沈んでいき、後ろのほうは一旦垂直に浮き上がってから沈みますが、それが妥当なのかどうかを考証していきます。

沈没したタイタニックの傷の付き方、船のパーツの散らばり方などから仮説を立て、それを海軍の協力を得てコンピュータでシミュレーションし、そのシミュレーションを実際に模型を使って再現する、という作業を映画公開後も今まで繰り返してきているんです。

監督は、ここだけは間違ってたら犠牲になった方や遺族に申し訳がないし自分が許せないんだと思います。

救命ボートの考証

タイタニックが沈むまである程度の時間があったのにあれだけの犠牲者が出たのは救命ボートの数が適切じゃなかったのと乗組員がボンクラだったからじゃないのか、とはよく言われることですが、この点についても深く考証。

ボートを巻き下ろす時間、もっとボートが増えた場合の現象、ボートに乗っている乗客と乗組員の心理などを考慮し、実際にタイムを計って実際にはどうだったかに迫っていました。

事実に迫る作品

この他にもいろいろと細部に渡った考証はありましたが、全ては事実を事実として再現したいという監督の姿勢のあらわれなんでしょう。

もちろん『タイタニック』は映画ですので、それらを加味した上でキャメロン監督がエンターテインメントに仕上げたわけですが、その仕上げ方に妥協はなかったということです。

最後に

今回、『タイタニック号:最後の謎に迫る』を観て、『タイタニック』という映画はただ単に陳腐でチンケなラブストーリーを盛り上げるために沈みゆく豪華客船という舞台を用意したわけではない、ということがわかりました。

ああそれなのにそれなのに。

ぼくはジェームズ・キャメロン監督に謝りたい。公開されてから20年間、そんなこともわからずに上辺だけ観てコキおろしてきてスミマセン。

もう一度、今回知ったことを頭に入れた上で『タイタニック』を観てみようと思います。そうしたらまた、感じることもあるでしょう。

そしてみなさんにも、もし観る機会があれば『タイタニック号:最後の謎に迫る』というテレビ番組は観ていただきたいなぁ。再放送あるかしら。