みなさん金売り吉次ってご存知でしょうか?
日本史が好きだったり源義経に興味がある方なら「ああ」となるでしょうけども、そうじゃなければ「知らん」で終わりそうなマイナーな人物ですが。
そんな金売り吉次の墓をみつけました。
金売り吉次
金売り吉次(かねうりきちじ)とは、平安末期の商人で、奥州で産出された金を京の都で売りさばくことを生業としていたとされ、吉次信高、橘次末春とも称されます。
鞍馬山の源義経が奥州平泉に下るのを手助けしたとして『平治物語』『平家物語』『義経記』『源平盛衰記』などに登場しますが、その経緯は義経が頼んだとも、金売り吉次がそそのかしたとも書かれていて、どっちがホントなんでしょう。いずれにせよ、実在を裏付けるものはなく、まったくもって伝説的な人物です。
しかし、奥州の金を京で商う商人は実際にいたでしょうし、そういった人物のひとりが義経の手助けをしたとしても、まぁ不思議ではありません。源氏の御曹司というのはその存在自体に価値がありますし、商人はそういうのに聡いですからね。
金売り吉次の墓
いずれにせよ、存在自体がボヤっとしている人物ですから、死んだ場所もいろいろと諸説あり、そういう人物の墓があちこちにあることはまぁよくあることです。静御前もそうですし。
それにしても、まさか栃木県壬生町で金売り吉次の墓を見つけるとは思いもよりませんでした。
たまたま立ち寄ったコンビニでフト横の田んぼを見るとなんか赤い屋根があって石が置いてありその横に看板らしきものが立っていたんです。気になったので見に行ったら吉次の墓だったというわけです。
五輪塔が崩れ落ちてその残った部分かな?といったカンジですが、看板は新しくて地元の人が「残そう」と尽力してくれていることを感じとれます。
いずれにせよ、平家討伐を成し遂げたあと義経が頼朝と不仲になって再び平泉に向かう途中、ここで金売り吉次が亡くなったということです。
へぇぇ、ホントか?と思わないでもないですが、この墓については、看板にも書いてありますが『奥の細道』で知られる松尾芭蕉に随行した曽良の日記にも記されているそうです。少しは箔がつきますね。
ちなみに周辺にも金売り吉次の墓はいくつかあるらしいです。コンプリートしようかな。
最後に
というわけで、近くに行った際には是非立ち寄ってみてください。といっても地元の人以外はなかなか寄らなさそうな場所ですけども。