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鳥居強右衛門の強烈なエピソード!

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鳥居強右衛門が『どうする家康』に登場

先日、2023年NHK大河ドラマ『どうする家康』の追加キャストが発表されましたが、なんとその中に鳥居強右衛門が入ってました。岡崎体育さんが演じるといいます。

あ、ちなみに名前は「とりい・すねえもん」と読みます。

正直、岡崎体育さんについては詳しくは存じ上げないので「ほーん」って感じなんですけども、鳥居強右衛門自体について「そうか!強右衛門出すのか!」とちょっと感激しちゃったりしました。

この鳥居強右衛門は日本史に一瞬だけ登場しすぐに去っていきます。しかし、そのエピソードは壮絶で強烈で一度見て一度聞いたら忘れられない大きな光を放っています。ぼくもそれで記憶に残っているので、強右衛門がドラマでどう描かれるのか、非常に楽しみです。

長篠の戦いに登場する鳥居強右衛門

そんなこんなで鳥居強右衛門について書こうとおもうのですが、この男が日本史の舞台に登場するのは、織田信長・徳川家康と武田勝頼が雌雄を決したいわゆる「長篠の戦い」のときです。そして、このときだけです。たった一度の登場で強烈な印象を残したわけですね。

ところで、この強右衛門のエピソードの印象のおかげで、ひとつの絵が残っています。これです。

鳥居強右衛門
(画像掲載元:鳥居強右衛門 - Wikipedia

これが強右衛門です。磔にされています。上下については逆さに磔にされたか上下逆に伝わっちゃったとかありますが、磔にされたのは間違いありません。

さて、強右衛門はなんで磔にされちゃったのか。

走れ強右衛門!

長篠の戦いの発端は、武田勝頼が三河の東の要衝、長篠城を攻めたことです。長篠城の城主は奥平貞昌(のち信昌)。なぜ勝頼が長篠を攻めたかは色々あってここでは省きますが、とにかく武田勝頼は長篠城を攻め囲みました。

囲まれながらも長篠勢は善戦、なかなか城は落ちなかったんですが、武田方に兵糧を焼かれたことで一気にピンチに陥りました。こうなってしまっては数日後には落城必至、さてどうするか。城主の奥平貞昌はこう言いました。

「こうなったら家康様に援軍を頼むしかないやんけ!誰か岡崎にひとっ走り頼みに行ってこいや!」

しかし、城は完全に囲まれていて包囲を突破するのは至難の業、みんなが躊躇しているところ、声を上げた男こそが鳥居強右衛門です。

「ほな、ワシが行ったるわ!」

さすが忠義の士、強右衛門!走れ強右衛門!

その勢いで包囲網を突破し無事岡崎に着きました。

岡崎について家康に援軍要請をしたところ、家康は頼もしいことを言いました。

「もう準備はしとるで!信長様にも頼んで向かってるころや!2、3日の辛抱やで!」

それを聞いた強右衛門は感激しました。

「さすがやで!すぐ長篠に戻って知らせるわ!」

強右衛門はこの朗報を早く味方に知らせるため、すぐに引き返すことにしました。

走れ強右衛門!

捕まる強右衛門

ところが!

長篠城までもうすぐのところで強右衛門は武田勢につかまってしまいます。

実は、強右衛門は包囲網を突破したあと、無事突破した合図として狼煙を上げていたのです。武田勢もバカじゃないですから、その狼煙を見ていぶかしんで調べたんでしょうね。武田家だって優秀な諜報網を持ってたでしょうから。

取り調べで援軍が来るとしった勝頼は強右衛門にこう言います。

「アイツらに援軍は来おへんと言え。そしたら士気も下がって城を守るどころじゃなくなるやろ。そしたらウチで厚遇したるわ。悪ないやろ?」

忠義の士のはずの強右衛門はこう返します。

「わかったわ。ちゃんとメシ食わせてくれや」

あれれ?忠義の士じゃなかったのか強右衛門!

なんということだ、お前はそんな男だったのか強右衛門!

叫ぶ強右衛門

ともかく強右衛門は長篠城から見える場所に引き立てられました。そして、城に向かってこう叫びました。

「安心せえ!家康様がもうすぐ来るで!なんと織田様もや!2、3日したらワシらの勝ちや!」

なんと強右衛門は寝返りを承諾したふりをしてまんまと援軍到着を長篠城に知らせたのです。

すごいぞ強右衛門!

そして、ただの忠義一辺倒の無骨な男かと思ったら、なかなか頭いいじゃないか。捕まっても諦めず、敵を騙して自分の仕事を全うしたのですから。

すごいぞ強右衛門!

磔にされる強右衛門

しかし、そんなことをしてタダで済むはずもありません。

勝頼は激怒し、すぐに強右衛門を磔にして味方が見てるところで処刑することにしました。その様子が、先の画像の絵なんですね。

ともあれ、あわれ磔にされた強右衛門は味方が見ている前で磔にされ、槍で突かれて死んでしまいました。

しかし、味方が来るという朗報と強右衛門の忠義への追悼で長嶋城の士気は大いにあがり、援軍が到着するまで城は持ちこたえることとなりました。

ありがとう強右衛門!安らかに!

最後に

しかし、強右衛門がいなかったら長篠の戦いの様相はまったく変わって待ち構えていた武田方が勝ったかもしれず、織田と徳川はそのまま滅んでいたということも考えられるし、そうなると信長による日本の近世への転換も遅くなっただろうし、ペリーが来るころは日本はまだ農業本位の国で列強にいいように植民地されてたこともあり得るのです。

そう考えると、日本史に一瞬しか登場しなかった烈士・鳥居強右衛門の存在は、日本の行方を比較的いい方に変えたといっていいかもしれません。

すごいぞ強右衛門!ありがとう強右衛門!