征夷大将軍とは
征夷大将軍と言われると、「ああ、幕府の親分のことね」と思っちゃいますよね。
実際、日本の政権を実質担った鎌倉から江戸までの幕府のトップが征夷大将軍なので間違いではありません。
しかしもっと昔は征夷大将軍と言えばその名の通り「夷を征する将軍」という意味で、夷とは東北地方の部族「蝦夷」のことです。簡単に言うと、蝦夷が朝廷の言うことを聞かないことが多かったのでたびたび征伐していて、その征討軍のトップが征夷大将軍というわけです。
征夷大将軍坂上田村麻呂
征夷大将軍といえば、「坂上田村麻呂」でしょう。
坂上田村麻呂は797年に征夷大将軍に任命され、胆沢城・志波城という東北支配の拠点を作り、反乱が起こりまくっていた東北の支配に成功させてその名を上げました。
(画像掲載元:坂上田村麻呂 - Wikipedia)
そして、802年にアテルイが降伏して一旦落ち着いたのち、田村麻呂は804年に再び征夷大将軍に任じられたもののこの計画は頓挫しました。
いずれにせよ、田村麻呂の蝦夷討伐の効果は巨大で、後世になっても各地に田村麻呂伝説が残り、伝説化・神格化されてることを見てもその功績がいかに大きかったかがわかるでしょう。
初代征夷大将軍は坂上田村麻呂ではない
ところで、この坂上田村麻呂についてですが、歴史の授業で「初代征夷大将軍」って習いませんでした?ぼくにはそういう記憶があるんですが。
サカノウエノタムラマロって語呂も子供心になんだか面白くて印象に残ってるので間違いじゃないと思うんですが、でも実際は初代征夷大将軍は坂上田村麻呂ではありません。
初代征夷大将軍は大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)という人物です。
弟麻呂は794年の正月に征夷大将軍に任命されています。田村麻呂が任命されたのは797年ですから、確かに弟麻呂のほうが早い。
ただ、どうやら弟麻呂はお飾りで、実際に指揮を執ったのはそのときの副使だった田村麻呂だったようです。記録を見ると田村麻呂が中心に書かれているものばかりなのでおそらくそうだろうということです。
初代征夷大将軍、名は大伴弟麻呂、実は坂上田村麻呂ってことなんでしょうか。
最後に
でもだからって、初代征夷大将軍は田村麻呂って教えちゃうことある?いくら影が薄いからって、弟麻呂が可哀そうですよね。
ちょっと不自然なので「初代征夷大将軍は坂上田村麻呂」って習ったというぼくの記憶が間違ってるんでしょうか。覚え違いかなぁ。でもそれが事実だとして、今はちゃんと大伴弟麻呂だって教えてたりするのかなぁ。
どうですか、みなさんは初代征夷大将軍は誰って習いました?