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コバろぐ

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現在のダンサーとコスプレイヤーは出雲阿国に感謝すべき

歴史

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どうも!コバヤシです。

歴史上には、どうも史料が少なく、もしくは無く、実在したものの詳細がよくわからない人物というのが存在します。

女性芸能者の出雲阿国もそのひとりです。

現在に伝わる歌舞伎の創始者として知られていますが、一体どのような人物だったのでしょうか。

 

出雲阿国ってどんな人物?

出雲 阿国(いずもの おくに、元亀3年?(1572年) - 没年不詳)は、安土桃山時代の女性芸能者。ややこ踊りを基にしてかぶき踊りを創始したことで知られており、このかぶき踊りが様々な変遷を得て、現在の歌舞伎が出来上がっている。

名古屋山三郎と関係するともいわれ、「山三郎が夫である」、「山三郎の亡霊の役を演じる男性とともに踊った」といった解説がなされることもあるが、前者は伝説ともいわれており、後者も信頼性が決着がついていない資料にしか登場せず、信憑性が疑わしい。

引用元:出雲阿国 - Wikipedia

 出雲阿国と名乗りつつ、出雲出身かどうかも学術的には確定できていませんし、晩年、江戸城で勧進歌舞伎を踊ったあとの消息もわからず、亡くなった歳もわかっていません。

謎だらけ。

 

なぜ、出雲を名乗っているのか?

そもそも、なぜ出雲阿国と名乗っているのでしょうか。

それについては、社寺の造営や修理などに充てる財を得るために諸国を回る「勧進」をする許可を出雲大社からもらって出雲を名乗り、諸国をめぐって踊っているという説があります。

勧進の許可を得るなら別に出雲退社じゃなくてもいいわけで、だから阿国は出雲出身だとする学者さんもいるようですが、どうもわかっていません。

しかし、当時から「出雲のもの」とか書かれているので、人々から出雲出身だと信じられていたのは間違いなさそうです。

 

出雲阿国の踊り ~ややこ踊りからかぶき踊りへ~

そうやって出雲出身の踊り子として活動していて、阿国一行の踊りは当時「ややこ踊り」と呼ばれ、京都で人気となり、御所や宮中で踊りを披露するようになりました。

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そして慶長8年(1603年)の5月、京都の四条河原に小屋を建てた阿国は、上の画像のような男性の格好をして舞台にあらわれ、女装させた男性を相手に傾き者が茶屋の女と戯れるという踊りを見せました。この踊りが庶民に爆発的にウケた。そして、この踊りを人々は「かぶき踊り」と呼ぶようになりました。

その後、かぶき踊りは流行りに流行って、阿国は自らを「天下一」を称し、その踊りは全国に広まっていきましたが、低俗であるとして江戸幕府より禁止されてしまいました。

ただ、全て男が演じる「野郎歌舞伎」だけは許されて現在に残っています。

 

出雲阿国の功績

では、この日本に歌舞伎を残した出雲阿国の功績とは何でしょう。それを考えるために、まずは「踊り」を考えてみたい。

太古の昔から、踊りや舞というものは、神に捧げるものでした。しかし、「ややこ踊り」や「かぶき踊り」を阿国が披露することによって庶民にその面白さが伝わったのです。

つまり、踊りを「神事」から「庶民の楽しみ」にしたのです。

これこそが出雲阿国の最大の功績ではないでしょうか。現在のダンサーたちは、出雲阿国に感謝しなければなりませんよ。あ、あと女性ながら武士の格好をして踊ってたので、コスプレの先駆けと言ってもいいかもしれません。現在のコスプレイヤーの方も出雲阿国に感謝しましょう。

 

最後に

なんだか全然ウマくまとまってませんが、出雲阿国という人物について少しはわかりましたでしょうか。

ちなみに出雲阿国の晩年はこれまた謎に包まれていて、慶長12年(1607年)に江戸城で勧進歌舞伎を上演したあと、姿を消したとされています。

その後世に出ることはなかったので出雲阿国がどこで没したかはわかりませんが、出雲阿国のものとされる墓は二か所あり、一か所は出雲大社の近く、もう一か所は京都の大徳寺の中にあります。ダンサーとコスプレイヤーは感謝の意を込めてお墓参りをするのもいいかもしれません。

 

ではまた。