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板垣退助は「板垣死すとも自由は死せず」と言ってからめっちゃ生きたし、そもそもそんなこと言ってない

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板垣退助さん。言うまでもなく、土佐藩(高知県)出身で自由民権運動の中心人物です、そういうふうに日本史の教科書で習いましたね。

そして「板垣死すとも自由は死せず」という言葉でも有名です。「例え自分が殺されてもこの世から自由はなくならんぞ!」とか、かっこいい最期だなぁ…。

とかなんとかボーっとしてたら思っちゃいますよね!

でも…。

板垣退助とは

板垣退助
(画像掲載元:https://fr.m.wikipedia.org/wiki/Fichier:Itagaki_Taisuke.jpg

板垣退助は、土佐藩出身の武士であり、明治維新の元勲のひとりです。されに自由民権運動の中心人物であり、国民には人気がありました。

だから民主政治家として評価されていて、お札の肖像にも選ばれました(日本銀行券B100円券、いわゆる100円札)。

戊辰戦争では大活躍、甲州勝沼では新撰組を撃破し東北戦争では多くの藩を攻略しました。それでいて明治になってからは賊軍となって敗れた会津藩の名誉恢復につとめたり、公正な人柄は多くの庶民に好かれました。いわゆる征韓論で敗れてからは下野し、自由民権運動に身を投じました。

ザックリはしょっていくと板垣退助の経歴はこんなカンジです。

そして、明治15(1882)年4月、岐阜で遊説中に暴漢・相原尚褧に襲われました。これがいわゆる岐阜事件で、このとき暴漢に襲われた板垣によって「板垣死すとも自由は死せず」という有名なセリフが生まれました。

「板垣死すとも自由は死せず」とは言ってない

冒頭でも書きましたが、暴漢に襲われて倒れながらも「板垣死すとも自由は死せず」とか言うなんて、滅茶苦茶カッコいいですよね。意訳すると「国民の自由のためなら自分はどうなってもいい!」ってカンジです。もうこれ、民主政治家の鑑です。今現在のニッポンの政治家のセンセイたちに聞かせたい。

でも、実はこれ、言ってないようです。

記録としては「吾死スルトモ自由ハ死セン」という似たことばがあったり、「自由は永世不滅ナルベキ」と言ったという記録も残ってますけども、そもそもこのときを回想して「アッと思うばかりで声も出なかった」とか本人が言っちゃってます。本人が言ってるなら退助は言ってないでしょうねぇ…。

のちの新聞の取材で板垣退助の秘書である内藤魯一が思わず叫んじゃった言葉だとわかったみたいなんですが、板垣の人気のために板垣が叫んだことにしたそうです。だってカッコいいですもんね。

そして、実は「痛い痛い痛い痛い!医者を呼んでくれ!医者!」と叫んだという証言もあります。こっちだとやっぱり自由民権運動の権威も失墜するほどカッコ悪い。いや、襲われて負傷してるんだからいいんですけども。

板垣退助は、やっぱり「板垣死すとも自由は死せず」と言わなければならないのです。イメージ大事。

襲われたときには死んでない

こんなカッコいいセリフを言ったことになってるので、うっかりすると、板垣はこのときにカッコいいことを叫んで志半ばで非業の死を遂げた、というイメージを持っちゃいますよね。

「板垣死すとも自由は死せず…。あとは、あとは頼むぞ…。ガクッ」みたいな。

でも、実際はこのあとキッチリ治療してもらってシッカリ生きてます。4月に襲われても11月には後藤象二郎とともに立憲政治視察のため渡欧し、ルイ・ヴィトンのトランクを買って帰ってきてます(いや、それはどうでもいいけど)。

そして亡くなったのは1919年。大正8年です。82歳で亡くなりました。

82歳!あのとき死んだと思ってたのに!

襲われたときが45歳ですから、事件から37年も生きたんです。いや、長生きは素晴らしいことですけども、何だか何となくしまらないなぁ…。

最後に

よく考えたら、みんなが良く知ってる板垣退助の肖像は割と年いってますし、気が付きそうなもんですけども、やっぱりシビれるセリフ「板垣死すとも自由は死せず」のイメージからすると意外ですよね。

あと、板垣を襲った相原は服役後に板垣の元に謝罪に来たそうですが、板垣は「ええよええよ大丈夫大丈夫」って許したそうです。さすがです。