部活の休みを利用して、娘がカミさんの実家に行きました。ひとりで。
長男は野球部で忙しいし次男は高校受験だしで、なんだかんだあって初めてひとりで行かせることにしました。
新幹線で行って先ほど到着の連絡がありましたが、そりゃもう心配で心配で心配で心配でたまらんかったです。
もう中学生
まぁ、娘ももう中学1年生です。しかも、新幹線に乗る駅まではカミさんがいっしょに行き、到着駅ではお義母さんが待っていてくれています。新幹線に乗ってる時間は1時間ちょっと。
だから別に何の心配もいらんわけです。よっぽどのことがない限り何の問題もないでしょうし、よっぽどのことがあるとすればぼくら大人でも対処はきっと難しいでしょう。
つまり、もう娘は生きていくのに親からの助けはそんなにいらなくなっていて、ぼくらと同じステージに十分立てている。経済的なことは別ですけど。
なのに、もう心配でたまらんかったわけです。
成長が止まっている
原因はもうわかっています。
すなわち、ぼくの中の娘はまだまだ幼いんです。実際の娘と違って。体感的に、幼稚園か小学校低学年くらいの感覚。ぼくの中の娘はまだそのころのままなんです。だから、ひとりで新幹線に乗るとかなると「おいおい大丈夫かいっしょに行こうか」という感覚になる。
もちろん、駅までいっしょに行って新幹線乗せて降りる駅で誰かに待っててもらえればその年頃でもひとりで乗ることは可能だし、もしかしたら実際にそうしているお子さんもいらっしゃることでしょう。
それでも心配なのは変わりません。この心配は至極まっとうなもんでしょう。子供が幼稚園か小学校低学年であれば。でも実際には中学生ですから、ぼくの中では娘にギャップが生まれるんですね。
だから無駄な心配をしなきゃならん。めんどくさいったらありゃしない。
息子はちゃんと成長してる
面白いのは、息子らにはこの「自分の中で成長しない子供」の感覚がまったくないということです。実際と同じようにぼくの中で息子らはちゃんと成長しています。
何ででしょうね。
これもまぁ、実は答えはあって、つまり男親にとっては娘は特別なんです。これはもしかしたら願望かも知れません。いつまでもあの頃のちっさい可愛らしいまんまの娘でいてほしいという願望。これがあるから自分の中ではいつまでも幼いままでとどめておくんでしょう。
一方、息子にはとっとと成長してもらって男同士の勝負をしたいと心のどこかで思っている。だからむしろ実際より先に成長させてしまう。まだ息子らが小さいころ、複雑でとてもまだ理解できないようなゲームで「勝負だ!」とか言ってたのはもしかしたらそれなのかもしれません(そんなことしてたのか)
最後に
以上、男親にとっての娘と息子というハナシになってしまいました。あくまでもこれはぼくの場合ですのであしからず。でもまぁきっと男親ってこんなカンジじゃないかなぁ。
とにかく、娘の成長がちょっと恨めしい。
むかしは「チューして」って言うと喜んでしてくれたのに、最近では露骨に嫌な顔をします。
成長ですよね?