先日、ウチの次男坊が中学を卒業しました。公立高校に進学も決まっていて、何も心配がない。入学準備の資金以外は。
そんな彼が、ぼくとカミさん宛ての手紙を書いてました。
それは、仕事終わって家に帰ったらあった。
感謝に溢れた
その手紙は、本当にやつが書いたのか、と思っちゃうほどに感謝に溢れてました。
今まで育ててくれてありがとう、進路に悩んでるときに話を聞いてくれて良かった、悩んでいるときに家に居てくれるだけで助かった、自分を産んでくれてありがとう、兄を産んでくれてありがとう、妹を産んでくれてありがとう、家族みんなで食事をしてる時間が好き、隣の芝なんて枯れてみえる、生まれ変わるならまたあなたたちの子として生まれたい。
そんなことが書いてありました。
いえいえ、こちらこそありがとう。君が兄弟の真ん中にいることで、ウチの家族はひき締まってる気がしますよ。
感謝は苦手だ
しかし、こういうのはホントにかなわんのです。
だって、ぼくは感謝されるような人間じゃない。大した父親じゃありません。大した男じゃありません。大した人間ではありません。
つまりは、感謝されるような人間ではないのです。なのに、次男に限らずですけど、子供たちから感謝されたり頼りにされたりするのは、ちょっと勘弁して欲しい。
産んどいてなんだけど、こんなのが親やってていいのかっていつも思う。あ、産んだのはぼくじゃないけど(当たり前)。
やめてくれやめてくれやめてくれ!ぼくを父親として見るのはやめてくれ!そんなこともしょっちゅう思ってます。
ダメ親父
できれば父親としての役割も放棄したい、正直に言うと、そう思うこともしばしばあります。これからもあるでしょう。
ひとりになってどっか行きたい。
しかし、それは断固としてできませんでしたし、やらないでしょう。
そこに子供らがいるんだもんなぁ…。勘弁してくれよ。
お前らがいるから、ぼくはずっと働いてるし食いたいもん食えないし欲しいもん買えない。全てを我慢して生きてる。
なんで我慢しなきゃならないんだ?って思うこともあります。
ダメ親父だけど
父親としてダメダメなんです、本当は。
ダメダメなのにちゃんと父親をしなきゃならない。しかしだからこそ踏ん張れる。仕事できる。父親らしくできる。
子供を食わせなきゃいけないちゃんと育てなきゃいけない、彼らの命はこのダメ人間にかかっている、そう思うとダメ親父なのにダメ親父じゃなくなる。
ぼくはきっと子供たちがいなかったらロクな生き方をしてきてないと思う。思うっていうか、その自信があります。ホントのホントのところはクズなので。
手紙を読んだ結果
つまり、「なんで我慢しなきゃならないんだ?」という問いに対する答えは、実はぼくはもう持ってる。
そこに子供たちがいるからです。彼らに悲しい思いはさせてはいけないからです。
そんなこんなを次男からの手紙を読みながら考えてた結果。
家に帰ったら中学校を卒業した次男からの手紙が。号泣した
— コバヤシマサキ@はてなブログ (@Masa_kobayasi) 2018年3月17日
いやはや、お恥ずかしい。しかし、ガチです。
最後に
ゴメンなさい、なんか手紙を読んで思ったことをそのまんま支離滅裂に書いちゃったのでよくわからんかもしれません。
それにしても、次男がこんな手紙を書けるまで成長したんだなぁって割と感慨深い。
あながちぼくの父親としての存在は悪くはないのかなって自画自賛する一方で、こいつ読まれること前提で創作しとるんちゃうやろな、とも考えてますけど。それならそれで頼もしい。
しっかし、公立でも入学するには色々カネがかかるなぁ。チャッチャと仕事してくるか。