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愛すべきゲス!石川啄木のエピソードが面白い

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岩手県は盛岡出身の歌人・石川啄木について書きたい。

若いころになかなか(金銭面で)苦労して、若くして亡くなったこの天才歌人は、知れば知るほど面白いのです。

石川啄木とは?

『石川啄木全集・83作品⇒1冊』

石川啄木は、岩手県盛岡市日戸出身の歌人です。数々の歌集を世に出したものの、26歳の若さで亡くなりました。

その郷愁を誘う繊細な歌の数々はとても評価されていますね。

 

東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる

たはむれに母を背負ひて そのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず

はたらけどはたらけど 猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る

 

代表的な歌集『一握の砂』に収録されているこういった歌は教科書でみなさん習ったでしょうし、貧しいながらも親孝行の好青年といったイメージをお持ちの方も多いでしょう。

しかし、この石川啄木なかなかなエピソードをお持ちです。

それを知ると、みなさんのイメージはガラガラガラガラと崩れることでしょう。知ってる人にはなんてことないことかも知れませんが(そんなことない)。

そこでちょっとその生涯をのぞいてみましょう。

石川啄木ゲス伝説

一般的に知られている石川啄木のゲスいエピソードを羅列していってみます。

中学校中退

成績悪い、カンニングはする、出席日数が足りないってんで自主退学して上京しました。

でもここで4歳年上の金田一京助と会って友人になったのは、啄木の生涯にとって良かったことですね。

家族を放置

金田一京助を頼って上京するも、小説を書いては評価されない日々を送っていますが、その間、家族は友達に預けっぱなしです。「肩身が狭いよう」という家族からの手紙をもらうも、「自由な環境が無くなると小説書けない」とか言ってこれを無視します。既婚者なのに独身を謳歌してた雰囲気です。

この辺の心境は『ローマ字日記』にもつづっていますね。

そうこうしてるウチに嫁姑問題が勃発。奥さんは家を出てしまいます。しかし啄木はこれを放置。

奥さんを呼び戻しに行ったのは啄木の友人だったそうです。

女遊び

そうやって奥さんが大変なことになってるときに、啄木は何をしていたかと言うと「小説が全然評価されん。おかしい」とか言いながら女遊びにいそしみます。

給料が出たら家族に仕送りもしないで女遊び、友達から借金して女遊び、給料を前借りして女遊び、仕事をサボって女遊び。

なんなのそのパワー。

『ローマ字日記』を読むとこの辺のことが書かれていて面白いです。

仕事をサボったことや、エッチな本のことや、どうやって女性とチョメチョメしてるかとかが赤裸々に書かれています。

 

借金

そんな生活なのでお金が全然足りません。よしじゃあ働かなきゃ!とは啄木はなりません。

啄木は周りの人に「金貸してー金貸してー」とタカリまくります。金田一京助なんかは、出張先にまで「金貸してー」という手紙をもらったりしてます。

一番お金を貸していた宮崎郁雨という人が、啄木の借金の全額を発表しましたが、それによると借金の総額は1372円50銭で、計63人から借りていたようです。今の価値で換算すると1500万円くらい。そのうちどれだけ返したんでしょうね。

強烈な一句

啄木はそれだけ周りに迷惑をかけて助けてもらってるのに、こんな歌を書いています。

 

一度でも我に頭を下げさせし 人みな死ねと いのりてしこと

 

屈辱だったんでしょう、「俺に頭をさげさせたやつはみんな死んだらええのに!」とか言っちゃってます。なんてヤツだ!

ちなみに、ぼくは啄木の歌の中ではこれが一番好きです(笑)。

しかし愛された啄木

啄木は肺結核を患い26歳で亡くなってしまいます。やっぱり貧乏で薬も買えないくらいだったみたいですね。

それまでのことを考えたら「自業自得だ」とか「ザマミロ」とか言われてもおかしくないのに、たくさんの人が見舞いに訪れたり見舞金を送ったりしていますから、よっぽど魅力的な人物だったのでしょう。

最後に、もうひとつぼくの好きな啄木の歌を載せて終わりといたします。

 

友がみな我よりえらく見ゆる日よ 花を買い来て 妻としたしむ