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『西郷どん』の鹿児島弁(薩摩ことば)がわかりにくい理由

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NHKの大河ドラマ『西郷どん』始まりましたね。幕末好きなぼくとしては、まぁまぁ注目してますけども。

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その『西郷どん』についてこんな記事が。

『西郷どん』の鹿児島弁のクセがすごい!

観た人はわかると思いますが、みんなちゃんと鹿児島弁(薩摩ことば)でしゃべってて登場人物が何言ってるかわかりにくい。

 初回のオープニング。西郷隆盛3人目の妻・岩山糸(黒木華)は、上野の銅像除幕式で隆盛像を見て「ちごう。うちの旦那さぁはこげな人じゃなか!こんな人じゃあいもはん!」と薩摩ことばで絶叫。子供時代の隆盛が右腕に致命的な怪我を負う場面では、医者が「残念じゃが、こん腕はもう使い物にないもはん」と伝え、家族が「なんとか治してたもんせ!」「先生、助けてたもんせ!」と懇願する場面などがあった。

鹿児島の人から見たらあれでもマイルドになってるそうですが、確かにちょっとどころかかなりわかりにくい。ていうかわからない!

たまらず字幕オンにしても鹿児島弁で字幕が書かれてる!なんてこった!てな具合。

鹿児島弁は人工言語?

薩摩の方言、鹿児島弁は本当にわかりにくくて九州の他の地方とも共通点が少ないんですよね。それがわからなさに拍車をかけてるわけですけど、そんな印象から「鹿児島弁は人工言語である」という説があったりします。

鹿児島弁は薩摩の島津家が江戸幕府の隠密に言っていることがわからなくなるように、それによって情報が漏れないようにするために、わざとわかりにくい言語を作り上げた結果できたものだという説ですね。

ご存知のように、薩摩島津家は、関ヶ原の際に負けた西軍に属しながら1ミリたりとも領土を奪われていません。退却の際とその後の戦後交渉の際に薩摩のすごさを家康に見せつけたからでしょうけども、だからこそ徳川家は島津家を無茶苦茶警戒していました。そのためにしょっちゅう隠密を放って薩摩の情勢を探ろうとしていたから、彼らにわからないような鹿児島弁を作ったんですって。

なるほどー!

とか思わないように。多分そんなことはないと思いますよ。地理的に南の端っこで閉鎖性とかもありますから、独自に発展していったんじゃないでしょうか。

大体、ぼくがこの説を知ったのも『伊賀の影丸』でしたし。『風雲児たち』でもそんなこと書かれてたような…。いずれにせよ、ソースは漫画です!

『風雲児たち』については、このブログでも拙い記事を書かせてもらってますのでそちらを是非。宣伝御免。

まぁ、鹿児島弁だって日本に数ある方言のひとつですよ。ちょっとわかりにくいだけですよ。暗号として意図的に作られたって話は面白いですけどね。

実際に暗号で使われた?

「暗号」って書いてひとつ思い出したんですけど、吉村昭さんの『深海の使者』という書籍にかかれていたことが興味深い。

この本は、第二次大戦中に潜水艦が日本からドイツに赴いた際のことを書いたものですが、敵に情報を渡さないために使われたのが「早口の鹿児島弁(薩隅方言)」で、実際に国際電話で堂々と使ったのにアメリカの海軍情報局は最初全く理解できなかったそうです。

『深海の使者』は小説ですから、そこに書かれていることがどこまで事実かはわかりません。しかし、吉村昭さんの小説を読むに、その取材力とそこからくるリアリティは折り紙付きです。「信じるか信じないかはホニャララ」って言いたい案件ではありますね。

ちなみにこれは個人的にはオススメです。戦争の恐ろしさは知っておいたほうがいい。あと、潜水艦には乗りたくなくなります。

最後に

とまぁ『西郷どん』の鹿児島弁がわからない理由としてひとつの俗説を書いてみました。

これからドラマを観ていくと薩摩の戦略のスゴさと外交のウマさが際立ってわかってくると思いますが、たとえこんな俗説でも知っておくとそれらが腑に落ちてくると思いますので、頭も片隅にでも入れておいていただけると幸いでございます。

ところで、ぼくのPCって「せごどん」って入力すると「瀬後ドン」って変換されるんですけど。仕方がないので「さいごうどん」って入力すると「最後うどん」だって。アホだなぁ。