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みなもと太郎先生が亡くなってしまった…。『風雲児たち』が…。

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漫画家のみなもと太郎さんが、2021年8月7日、心不全のため亡くなったことがリイド社の公式サイトで発表されました。

ぼくにとっては、小学生のころから『風雲児たち』でずっと楽しませてくれていた漫画家さんなので、非常に残念です。

『風雲児たち』とぼく

ぼくにとってはこの訃報は割とショックで、その理由はみなもと太郎先生の作品『風雲児たち』をぼくがこよなく愛してるからです。

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いくらぼくが訃報に打ちひしがれてるとはいえ、ぼくとみなもと太郎さんの接点なんて当然ながらありゃしないので、思いつくままにぼくと『風雲児たち』について書いて残しておこうと思います。

『風雲児たち』について

みなもと太郎さんは、『風雲児たち』の連載を「幕末を描きたいから関ヶ原からやる」と本当に正しい姿勢で始めました。幕末の例えば薩摩、長州、土佐の動きなんて関ヶ原前後の島津家、毛利家、長曾我部家のことが分からないと理解が深まりませんからね。

歴史は連続する時間。ずっと影響して続いている。そういう、教科としての歴史では教えてもらえない当たり前のことをわからせてくれる点で、『風雲児たち』は非常に素晴らしいのです。順番に読み進めていくと、歴史は時間の連続だということが非常によくわかります。

そういう(徳川幕府への否定的目線が強めであるにせよ)正しい視点で、みなもと太郎先生は1979年に『風雲児たち』の連載をスタートさせ、江戸時代の通史を描ききり、いよいよ終盤の幕末へと突入したところでした。

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ここにきて『風雲児たち』は2004年に第8回手塚治虫文化賞特別賞を受賞し、その後正月のテレビドラマになったり歌舞伎になったりしていよいよ知名度が上がってきたところでした。

ぼくと『風雲児たち』

そんな『風雲児たち』とぼくが出会ったのは確か小学4年生のとき。家康による関ヶ原の後始末が描かれた第2巻を友人が「兄貴のやつ」とか言ってウチに持ってきたときです。

のちに歴史シミュレーションゲーム『信長の野望 全国版』で日本史の沼にハマる前のぼくにとっては描かれていることはよくわからなかったんですが、なんせ『風雲児たち』は“大河ギャグロマン”と銘打たれているとおりギャグ満載で(今よりずっと多かった)、子供にとっても読みやすかったので一応通して読んだカンジです。吉本新喜劇のようにギャグに対してのコケも必ずあり、ズッコケを漫画化してるギャグマンガって他にもないんじゃないでしょうか。

それ以来、中学の図書室に置いてあったこともあってずっと読んでいたので、単調でつまんないと思われがちな日本史の中の江戸時代の複雑さが分かったことはぼくの日本史への興味の後押しになりました。

高校生になると、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』によりぼくは幕末に目覚めます。『維新の嵐』ばっかり遊んで司馬先生の幕末モノばっかり読んでた時期ですね。だから、ずっと読んできた『風雲児たち』にも幕末を求めていました。「なんやねんまだそんなとこかいな幕末描くんじゃなかったんかホンマにおっそいな」失礼ながらそんなことも思ってましたね。それほど『風雲児たち』の続きを求め続けていたのです。

そんなカンジで小学生のときからずっと意識の傍らにあったのが『風雲児たち』で、みなもと太郎先生の歴史に対するスタンスによってぼくの日本史の理解もずいぶん助けられ続けたのは間違いありません。

最後に

みなもと太郎先生が亡くなったことによって、この『風雲児たち』が未完となったのは非常に残念なところです。御年を考え、ペースを考えると「もしかして…」とは思ってましたが。

最新巻は幕末編の34巻で合ってますかね。いよいよ坂本龍馬が勝海舟と出会ったところですよね。幕末の日本も影響を与えている南北戦争について触れているところもみなもと先生らしくていいです。

しかしやっぱり、そう考えるとこれからだったんですよね。40年以上描き続けてきて、いよいよ描きたいところに差し掛かったところだったんじゃないでしょうか。

しかし、みなもと太郎先生が描き続けてきた『風雲児たち』のすばらしさはこれからも変わりません。ぼくも何度となくこれから読み返すことと思います。今はただ、ご冥福をお祈りするのみ。

あと、もちろんですが、他の作品も面白いですよ、代表作『ホモホモ7』とか。