仕事で栃木県小山市へ行ったんですが、仕事も一段落して昼メシ食ったらなんだか時間を持て余してしまいました。
さて、どうするか。
「ここは小山だ」ひとりごとを言って近くになんか史跡あったっけな…と考えてみたら、「ここは小山やん」となりました。小山といえば、小山評定。
小山評定知ってる?小山で開かれた評定です。そのまんまです。
小山評定
小山評定は、会津の上杉景勝討伐に向かう途中に石田三成の挙兵を知った徳川家康がみんなを集めて行った評定です。
「なんか三成めがこの家康に挑戦してきたらしいで。これから西に戻ってやつと決着つけるけど、ワイと戦うか三成につくかみんなに任せるわ。好きにしてええで」と家康が諸侯に問うと、誰も反応しない。大坂に置いてきた人質もいるしかといって内府様に逆らうのもどうか…なんて考えて動くに動けないのです。しかしそこで福島正則が「なんでワシがあんな小童に味方すんねん!内府様のためなら人質の妻子など顧みるもんやあらへん!」と演説して大勢は決しました。そして家康勢は取って返して西進、歴史の流れは関ヶ原へ向かうのでした。
まぁこれが小山評定。これがあって関ケ原の合戦がおこるわけです。
ちなみに、このあと真田父子が昌幸・幸村の西軍と信之の東軍にわかれるいわゆる「犬伏の別れ」があったりします。
しかし、この小山評定ホントにあったのかどうか議論になってたりします。一次史料がないんですよね。
須賀神社
その小山評定が行われた場所こそ、小山市に鎮座する須賀神社です。この神社の隣、今の小山市役所のあたりに家康の本陣があったそうですが、諸侯を集め評定を行った場所が須賀神社の境内だったらしいです。
なので神社につくと鳥居をくぐる前にその碑があります。

この碑を読んだ後、鳥居をくぐって本殿へ。
境内は割と広いです。七五三の時期だったんですがもう夕方だったので人影もまばらでした。



この須賀神社、立派だ立派だと思ってたらやっぱりかなり由緒正しい神社でして、その起こりは藤原秀郷が940年に京都の祇園社から素盞嗚命(すさのおのみこと)の御分霊をおまつりして創建されたとのこと。
なのでちゃんとその碑もあります。

あと、境内をぶらぶらしていたら小山朝政、小山義政の碑も見つけました。
まぁ、あれか。地元の名士というかなんというか。小山出身の有名人、みたいな。

小山朝政は平安末期から鎌倉時代の武将で、頼朝に挙兵のころから仕えてその信頼も厚かった御家人ですね。
小山義政は小山義政の乱で知られます。室町幕府創設の功労者で小山氏の全盛期を築いた武将ですが、ライバルであった宇都宮氏をやっつけたときに鎌倉公方に怒られ追討をうけます。一度は降伏しますがその後ワチャワチャして結局自害したとされます。
そんなわけで、なんだか割と見どころ多い神社ですね。ゆっくり散策しても10分20分、時間をちょっと潰すにはちょうど良い神社でした。
最後に
というわけで、みなさんも機会があれば是非行ってみてください。小山駅から歩いて15分ほどです。
住所:栃木県小山市宮本町1-2-4
