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【犬伏の別れ】関ヶ原前に真田父子が生き残りを賭け分かれた地で父子の決断に思いを馳せた【新町薬師堂】

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佐野市犬伏の薬師堂

仕事で栃木県の佐野市を車で走らせているとき、急に目の前に真田の六文銭をあしらった幟を見つけました。

「????」

ここは上田じゃない沼田じゃない小諸じゃない。なぜ真田の六文銭がこんなとこに???

すぐに車を停めて行ってみると、そこはなんだか小さなお堂でした。

真田

「????」とまたクエスチョンマークを頭に浮かべたぼくですが、ここでハッとします。

ここの地名は佐野市犬伏。

歴史好き真田ファンの人ならここでやっぱりハッとするでしょう。

そうです、ここは真田親子の「犬伏の別れ」の舞台です。

真田

犬伏の別れ

真田父子の「犬伏の別れ」、ご存知でしょうか。

有名な1600年の関ヶ原の戦いは家康が直江状にキレたテイで会津攻めのために北上したときから始まります。

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で、家康の立場は豊臣家の大老であり事実上これは豊臣家の戦いなので真田昌幸・信幸(信之)・信繁(幸村)父子も従軍することになり、先鋒と合流するため宇都宮城に向かいます。で、エッチラオッチラ軍を進めて下野国犬伏にたどり着き「さてもうすぐ宇都宮だな」なんて思ってたとき、真田父子に石田三成から密書が届きました。

「豊臣家のために家康討伐の兵を挙げるで。もちろん味方するやんな?」

個人的には動静を見守っていた昌幸は三成からの誘いを待ってたんじゃないかなと思ったりもしますが、とにかくここで家康につくか三成につくかの決断が迫られたわけです。真田父子は近くにあった薬師堂に入り人払いをして密談をします。

真田

で、ここで昌幸・信繁は三成につき、信幸は家康につくことを決断し、昌幸と幸村は上田に引き返し信之はそのまま家康の元に向かうことになります。

昌幸は三成と、信繁は三成の親友・大谷吉継と姻戚関係にあり、信幸は家康の親衛隊長本多忠勝の娘と結婚しているので妥当と言えば妥当は判断だし、どちらが勝っても真田は生き残れるからベターな決断を言えるでしょう。

案内板があったので見てみると、まさに!それでした。

真田

ここはそんな重大な真田父子の話し合いが行われた場所です。近くの大庵寺じゃないかという話もありますが、それはそれとして、この薬師堂はいわゆる真田の聖地です。

父子の決断に思いを馳せる

ぼくはゾクゾクしちゃいました。ゾクゾクしつつ中を覗いてみると、3人の甲冑鎧が。

真田

え、これ本物?と思いましたが、本物が持っていこうと思えば持っていける状態で置いてあるわけありません。レプリカでしょうけども、見てるとやっぱりゾクゾクしちゃう。

そして、「ここで…あの話し合いが…」そう考えると頭がタイムトリップしちゃうクセがあるぼくです。

おそらく、話し合いは激論だったでしょう。真田家のためには東西に分かれるのはベターです。でも、長年協力して領地を治めてきた3人です、そして何より親子です。みんなでいっしょに行動しても良かったと思います。おそらく3人とも時勢は家康に傾いていることは感じていたでしょうから家康に従軍するのが良いことはわかってたはずですし、また全員で上田で家康に一矢報いる選択もあったはずです。そして家康嫌いの昌幸は本当はそうしたかったでしょう。

しかし、家名を残すことができるよう別れるという選択を選んだ。残ったほうは負けた片方の責任を問われることになるかもしれず厳しい道が待っているのはわかっているのに。実際、信幸は関ヶ原後に常に疑われ大変な思いをしています。実は、一番難しい道なんですよね、分かれるという選択は。

この薬師堂を目の前に立っていると、それでも別れることを選んだというその決断の凄まじさに、戦慄せずにはいられません。

アクセス

そんな佐野市犬伏の新町薬師堂がどこにあるかと言いますと、ここです。ちゃんと道路を迂回させているのはこのお堂を残すためでしょうかと思ったら古墳だったのか。

最後に

というわけで、真田の決断の地である新町薬師堂、佐野市を訪れた際には是非行ってみてください。プラミアムアウトレットに行ったときとか。ちょっとそこからは遠いけど。