会社の旅行で大阪に行ったはいいが、完全フリーで特にやることはない。移動日の次の日は実家に帰ってゴロゴロしたあと、夜は京都まで足を伸ばしてあのブロガーさんに合ってきました。
今回はその次の日のお話。
前日にみんな夜の町に繰り出してて、ぼくが朝飯食べたあともまだ寝てる。予定がないうえにひとりでヒマ。そこで、泊まってるホテルの近くに真田丸があったことを思い出し、とりあえずそれだけでも見てくるかって外に出たのが運の尽き。じゃあ次はあそこ行かなきゃな、あれ、これってここだったのかって結局大阪市天王寺区を中心に歩き回ってしまいました。
今回は、その顛末を。
真田幸村を偲ぶひとり小旅行
真田丸跡
泊まってたホテルから徒歩20分くらいのところに真田丸があったとは知ってたので、ブラブラと歩いて行ってみたのが今回の小旅行の最初。
真田丸ってのは、大河ドラマにもなってて人気だったから知ってますよね?ていうか、ぼくも書いてたなぁ。
真田丸は、大坂の陣のときに「大坂城は南側が弱点だ」って気付いた真田幸村が「じゃあ南を守る!」とか言って築いた出城ですね。
今は明星学園という学校法人の敷地内でグラウンドになっていて、当時を知る由もありませんが、碑は建ってました。
ホントに大坂城の天守閣から真南の位置で、そこから幸村は一体どんな気持ちで天守閣を見ていたのか気になったので、北を見てみました。
天守閣見えませんやん。これじゃあ、偲べませんやん。大坂の町づくりも無粋だなぁ…。っていうか右に見えるアシュラマンは何だ!と思って見てみたら心眼寺というお寺でした。入口にはこんな看板が。
ほほう、なるほど。真田丸を支援するために作った出城があったんですね。立派な石碑もありましたよ。
そしてこの心眼寺には、なんと真田幸村のお墓もあったんです!
マジか。なんて見てみたら立派な石だこと。
そうか、ここに幸村が眠っているのか。自ら築いて必死に戦った舞台である真田丸があった場所に眠ってるなんて、きっと満足してるでしょう。
そしてここには幕末の京都見廻組の桂早之助と渡邊吉太郎(吉三郎と墓石にはありますが、吉太郎が正しいらしい)のお墓もありました。偶然発見。こういうのがあるからノープラン旅行はやめられない。
ちなみに、桂は近江屋事件、いわゆる坂本龍馬暗殺の実行犯とも言われていますね。まさかそんな人のお墓を発見できるなんて思いませんでした。
見廻組2人のお墓に手を合わせたあと、ぼくは「まさか桂早之助のお墓も発見できるとは来てよかったわぁさて戻ろ」って思ったんですが、フト「真田丸から幸村が敗走して自刃した安井神社まで歩いてみよう」という考えが頭をよぎったんですよね。
どうせヒマだし、敗走経路を探りながら幸村の気持ちを思いつつ歩くのも悪くない。ということでそこから安井神社まで歩くことにしました。
吉祥寺
で、真田丸から西に向かい、谷町筋を南下することにしたんですけども、ここで思い出しました。
「幸村が敗戦して自刃したのは大坂夏の陣。そのときは茶臼山に陣を構えていたから真田丸から敗走経路を探ってもあかんやん」
なんやねんそれ!(自分のせい)
まあでも仕方ない、安井神社に行ったあと茶臼山も行くか、って思い直しましたけど、この時点で歩く経路は伸びてます。
ともかく、谷町筋を南に向かって歩いていると、なんだか塀がだんだら模様のお寺を発見。吉祥寺とあります。
だんだら模様と言ったらやっぱり新撰組。
あれ?こんなところに新撰組ゆかりの寺でもあるんかいな?
なるほど!だんだらはだんだらでも、赤穂浪士か!忠臣蔵か!元祖ですやん元祖。
5分で読める!『忠臣蔵(ちゅうしんぐら)』初心者のためのザックリとしたあらすじ - コバろぐ
それはなかなか興味深い、と中に入ってみたらいきなり大石内蔵助の石像が。
正に腹を切るところの大石内蔵助の石像から右をみる。そしたら何なのこれ!
なんと、『忠臣蔵』でおなじみの四十七士全員の石像がありました。これは圧巻。
そしてその脇には四十七士のお墓が。
え?ひとまとめなの?
そして境内にはこんなのも。
蜂須賀小六がこことどんな関係があるんでしょう。ちょっと調べてみたんですけど良く分かりませんでしたが、女優の釈由美子さんが蜂須賀正勝の子孫だということはわかりました(ホンマかいな)。
四天王寺
さて、堺筋の東側を南下して歩いてたわけですが、幸村が自刃した安井神社は堺筋の西側。つまり、安井神社に行くには堺筋を渡らなければなりません。しかし、もうちょっと南下すると東側にはかの四天王寺があります。
これは行かなきゃならんでしょう。
なので、東側をさらに南下して四天王寺に。
四天王寺はご存知のとおり、聖徳太子が建てたお寺です。
そのころは、四天王寺は海っぺりだったそうです。中国から来た船が真っ先に四天王寺を見つけて「うわ何この寺すげぇ日本すげぇ」って思わせるために聖徳太子がその場所を選んだとか。さすが隋の煬帝に喧嘩を売った聖徳太子やで!
まぁ、そんなわけで四天王寺界隈の「飛び出し注意」は聖徳太子でした。
しかし、何度見ても四天王寺は品格あるわ。何度も焼失しては再建してるから聖徳太子当時の建物じゃないといっても、その歴史は揺るがない。
ほとんどが撮影禁止なので、どこにでもある写真しか撮れませんけど、いやいやホントに素晴らしい。
さて、ひとしきり四天王寺を堪能したあと、いざ安井神社へ!と思って歩いていると、なんだか小さいお地蔵さんがビッシリ並んでいるのを見つけました。
高さが多分20cmくらいで妙にカワイイ。前掛けにはさまざまなお名前が書いてあります。四天王寺にこんなのあったかなぁ。
どうやら、お布施800円出せば(うろ覚え。間違えてたらスマン)置けるらしい。
しかしぼくはそんなに聖徳太子と仲良くないので、今回はパス。
安井神社
さて、そろそろ安井神社にいきますか、と道路に出てふと前を見るとこんな風景。
ああ!通天閣だ!
大坂に住んでるころミナミ(なんばとか道頓堀とか)よりもキタ(梅田とか)で遊んでたんですけども、それでもやっぱり通天閣を見ると「ああ、大阪帰ってきたんやなぁ」って思います。
通天閣見て「よし、新世界にも行こう!」とか思っちゃって、また歩く距離が伸びてるし。
いやそれよりもまず安井神社。
入ると、なんだか空気がひんやりした気がしましたけど、もちろん気のせい。きっと幸村を偲んでるぼくの心がそうさせたんだ。
銅像と石碑。
ここで、この場所で真田幸村は自刃した。大坂夏の陣の際、家康を強襲するもあと一歩及ばず、ここにきて一本松の根元に座り、そして死にました。
きっと、天守閣の方を見ていたと思うんですよね。そして、無念さに打ちひしがれたのかもしれない。ここで。そう考えると、やっぱり空気が冷たい。
さて、次は夏の陣のときに本陣を築いた茶臼山だ。しかし先に通天閣と新世界に行きますかね。
一心寺
しかし、安井神社から出て道路向かいを見ると、見慣れない現代的な建物がありました。一心寺というらしい。
え?これお寺?と誰もが思っちゃう建物で、興味を持たされちゃったので行ってみました。寄り道。
そしたらすごいの、阿吽の像が。怖い顔で見下ろしてくんの。
これはもう、現代アートやん。ぼくの知ってる阿吽像とは違う。
中に入ると、お墓が。その中に、本多忠朝のお墓がありました。
本多忠朝は、本多忠勝の次男で、父に負けない勇猛な武将でしたが、冬の陣のときにお酒で失敗してますよね。酔って不覚を取って負けて家康にめっちゃ怒られた。だから夏の陣のときは汚名返上に燃えて奮戦したんですけど死んじゃいました。死ぬ間際に「俺のように酒で失敗したやつを救おう」と遺言したとされ、死後は「酒断ちの神様」として崇められています。お酒で失敗した人は詣でたほうがいいかも知れませんよ。
あと、八代目市川團十郎のお墓もありました。なかなかスゴいやん、一心寺。
新世界
一心寺のあとは、いよいよ通天閣のふもと、新世界へ!
曇ってるので通天閣に上るのはやめました。
新世界で遊ぼう、って探したのはスマートボール屋さん。どこだか全然覚えてなかったんですけど、ちょっとブラブラしたら昔と変わらぬ姿でありました。
みなさん知ってますか、スマートボール。簡単にいうとパチンコみたいなやつなんですけど。
この台にボールを打って、5のとこに入ったらボールが5個、15のとこに入ったら15個もらえるんです。
ちなみに100円で25球最初に出てきます。それを元手に球を増やしていくわけですね。
そして、球がたまったらお菓子と交換できる。
とか言ってもよくわからんでしょうから、ちょっと動画を撮ってきました。カッコいいとこ見せたかったのにみるみる球が吸い込まれていきましたが、最後の一個だけ5のとこに入りました!見てあげて!
スマートボールがさっさと終わっちゃったので、いつぞや誰かのブログで読んだ、レトロゲームのゲーセンも話のタネで探してみました。
そしたらすぐ見つかった、レトロゲーセン『ザリガニ』。
以前に紹介した埼玉県深谷市の『ロボット』よりも全然置いてある台は少ないですけども、置いてある台はなかなか悪くないラインナップですね。
埼玉県深谷市の『ビデオゲームミュージアム ロボット』でレトロアーケードゲームを堪能してきた! - コバろぐ
とりあえず『ドンキーコング』だけやっときました。
さて、この時点でもう2時過ぎ。散々歩いたので腹ごしらえを。
しかし連日の暴飲暴食で(旅行ですから…)、そんなに腹は減ってない。なので串カツはやめて、ていうか串カツ屋多すぎやろ!20年前とは全然違う!
いや、とりあえず串カツはやめて、タコ焼きを食べることにしました。
見たこともない店で、新世界の変化を感じずにはおれないお店ですけど、まぁまぁウマそう。
タコ焼き。
あれ?写真が逆さだまあいいか。ウマそうなのは伝わるでしょ。
せっかくだからタコ焼きはビールで流し込みました。ええ、せっかくですから。なんてひとりで言い訳しながら腹ごしらえしたところで、あろうことか小雨がパラパラ降ってきましためんどくさい。
しっかし、歩いてるの外国から来た観光客ばっかりやね。
茶臼山
小雨がパラパラしてきたので急いで茶臼山へ。
実は一心寺と隣り合わせくらいの位置で、新世界に行かんと直接行けばよかった、なんて気もしますけども。
これが茶臼山です。
大坂冬の陣のときは徳川家康が、夏の陣のときは真田幸村がここに本陣を構えました。
しかし、なんだか立ち入り禁止のバリケードがあって中には入れません。池の前から眺めて思いを馳せるしかないでしょう。
前は中に入れたと思うんだけどな。
しかし入れないモノはしょうがない、さぁ、帰ろうかな。
日本橋
さぁ、帰ろう、と今度は堺筋を北上することにしたんですけども、ここでまた思い出しました。
堺筋の恵美須町付近といえば、日本橋です。“にほんばし”ではありません“にっぽんばし”です。
そして、日本橋は電気街です。わからぬやつが「大阪の秋葉原」とか言ってるらしいですが、逆です。秋葉原が「東京の日本橋」なのです。なんか別の意味になっちゃいますが。
かつてぼくが若いころ、パソコンのゲームを買うといってはここにバイクで1時間かけて来てたんです。懐かしいなぁ!
しかし日本橋も変わってしまった。
秋葉原もそうですが、なんか免税店ばっかりやん。そして歩いてる人は外国の人ばっかりやん。ソフマップのシャッター開いてないやん。ぼくの知ってる日本橋ではなくなってました。
それでもゲーム屋さんは何軒かあって、フラフラ立ち寄っては見てたんですけど、ちょっと珍しいものを見つけました。
MSX版『ドラゴンクエスト』。
『ドラクエ』はファミコンじゃなくても遊べたんやで!
そして日本橋の脇には黒門市場が。
ここはもう客はほぼ全員外国人で、通りももうそれ用に様変わりしてて、どう見ても市場じゃないやん。何やねんこれってなりました。
新世界、日本橋、黒門市場はなんだかホントにもう、違うわ。
最後に
黒門市場を見たあとはホテルに戻ったわけですけど、フラフラと真田丸目がけて外に出てからなんだかんだ6時間歩きっぱなしでした。
真田幸村を軸にしつつ色々寄り道して新しい発見があり、そして懐かしい風景もあり、非常に有意義だったなぁ。
家族といっしょだったら「なんなのこれつまんない」「こんなの見てどうするんだ」「いつまで歩くんだ疲れた」とか言われまくるのは間違いないので、それを考えたらいい機会でしたね。
またやろう。