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オッサンが夏の終わりに胸がキューッとなる画像を見ながら考えてみた


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さて、8月も終わります。つまり、夏の終わりの始まり。

夏の終わりには夏を思う。そしてちょっぴりおセンチになっちゃいます。今年は曇天雨天ばっかりで全然そんな気にならないカンジですが、こんなの見るともう。

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(画像掲載元:個別「[秘境駅][特牛駅][山陰本線]」の写真、画像 - trini's fotolife

この時期、もうなんていうか、ふと胸が締め付けられて涙出そうになることがあります。もちろんBGMは久石譲の『Summer』か井上陽水の『少年時代』ですよ。

泣ける。

けどこれ、何なんでしょうね。

夏の終わりに夏を思う

もちろん、若いときにはそんな感傷は微塵もありません。何も考える必要もなく、何も自分の責任などもない、ただただ夏は楽しめばいいだけ。そんな時期に「あぁ、夏が終わるなぁ…」なんて感傷は生まれようもありません。

オッサンになってこういうので胸がキューッとなっちゃうのは、何なんでしょう。「あの頃は良かった」とか「あの頃に戻りたい」とかは思わないんですけども、あの頃は何もかもが輝いていたのは確かです。そして、それがただただ懐かしい。

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やがては貴き記憶となりぬ・F村の夏:2008_0802_dimageA1_PICT0081 posted by (C)青空白帆

ウチの母方の祖母のウチは京都府の丹後のほう(日本海側)で、まさしくド田舎だったんですけど、つまりこの写真のような、こういう風景の中にぼくは確実に居ました。夏休みは毎年必ず行ってたんです。

田んぼ、畦道、入道雲、ヒマワリ、セミの声。それらを堪能してばあちゃんちに帰って風呂に入ったらファンタグレープ。グラスに注ぐとシュワシュワ言ってる。風鈴の音、蚊取り線香の匂い。それらを感じながら食べる夕食。デザートに甘い瓜を食べたら、家の裏の木にカブトムシを呼び寄せるためにミツを塗りにいく。蚊帳の中で就寝。明日は海行くんだ…。

アカン、涙出てくる。

夏休みの感覚の蓄積なのか

夏休みって毎年毎年あって、毎年毎年「ああああもう終わっちゃうううううう!!!」とか言ってたわけで、そのときはそれだけでしかないんだけどオッサンになるとその毎年の記憶が遠い彼方になってて「ああ。あの頃は…」みたいになっちゃうんでしょうね。

いや、重ねて書きますけど「良かった」とか「戻りたい」とかは別段思いませんよ。それでも記憶の遠い場所から容易に持って来れるってのは、なんていうんだろう、完全に数ある記憶の中では別格になってるというか、無条件にノスタルジーを発動するように出来てるんだと思います。

そして小学校の頃から高校生までと考えると、最低12回はそういう体験をしてきていてます。その記憶が今くらいの時期になると、記憶として蓄積された12回分全てが襲ってきて耐えられないくらい胸を締め付けてくるのです。あの頃は無垢で純真だったと思えば思うほど、その分得るものもあったけど、お蔭さまで汚れまくっちゃった自分に愕然とするのです。

汚れっちまった悲しみに
いたいたしくも怖気(おじけ)づき
汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

汚れっちまった悲しみに(中原中也)

いや、中原中也を引用したのは何となくですけど。

大人になれば世間に、社会に、どんどん自分を汚されていくわけですが、そんな今の立場から見るとあの頃はなんと輝いていたことでしょう。ただ単純に「夏休み終わっちゃううう」と言えたあの頃がキラキラしてないワケがない。それらの蓄積が頭の中でスパークしたとき、気持ちがあの頃に勝手に戻っていくのです。

ふふふ、そりゃキツいよ。夏の終わり。

最後に

そしてそれは歳を取るごとにヒドくなっていくという。明らかに去年よりも今年のほうがキツい。

いずれにせよ今から9月いっぱいくらいまでは、ことあるごとに全国のオッサンたちは心で涙を流しているのです。会社の事務員のケツを触ってるスケベなオッサンも、仕事で自分より若いやつに怒られてるおバカなオッサンも、悪いことして塀の向こう側にいるおっかないオッサンも、みんなそうです(きっと)

ぼくは歳を取ることは割と何とも思ってないんですが、唯一「年取りたくないなぁ」と思う理由がこれです。どんどんセンチメンタルになっていく。センチメンタル・ジャーニー。