さて、『三國志漢末霸業』のハナシ。
絶賛プレイ中なんですが、ろくに感想やレビューを書かず、半分ネタ化した武将パラメータの記事や、なんの役にもたたないプレイ進捗の記事をあげちゃって申し訳ない。
・『三國志漢末霸業』の武将のパラメータが細かすぎて伝わらない - コバろぐ
・【三國志漢末霸業】反董卓同盟が仇となり韓遂に閉じ込められたでござる - コバろぐ
まぁ、今回も役に立たないことを書きますけども。
洛陽に入ったよ
前回、馬騰でプレイして反董卓同盟の同志・韓遂に行く手を阻まれたけど同盟が解消されたらソッコーで長安を獲ったった、って書きました。
で、その後なんですが、これまたソッコーで韓遂を滅ぼして転身、一気に董卓の弘農を攻め立てそのまま進軍、ついに洛陽に入場いたしました!
これで董卓は虎牢関と陳留を残すのみ、やつの命は風前の灯だふはははは!しかも漢の帝も我が手に入り、天下に号令するのは俺だああああ!という状態です。
楽しい楽しい!
遊んでると時間を忘れてしまう危険なゲーム
ぼくはゲーム好きで他の同年代のオッサンよりもゲームに割いてる時間は多い方だと思います。
でもやっぱり、若いころのように長く遊ぶことはできません。なんか途中で疲れちゃうし飽きちゃうし他にやることもあるし、そんなカンジで1時間も遊ばないうちに「今日はそろそろやめるか…」ってなっちゃうんです。あのころのように、1本のゲームで徹夜なんかとてもじゃないけどできない。
しかし、この『三國志漢末霸業』は違いました。
遊んでると1時間なんてあっという間に過ぎていて、「あれっ!?もうこんな時間!?!?」とかなっちゃうんですよね。
こんな感覚、めっちゃくちゃ久しぶりです。
『三國志漢末霸業』のプレイ感覚
なんで他のゲームは続けられないのにこの『三國志漢末霸業』はいつまでも遊べるんだろう、と考えてみる。
ぼくは、コーエーテクモゲームスがコーエーだったころよりもまだ前の光栄だったころのゲームが大好きでした。ていうか、光栄のゲームで歴史シミュレーションゲームに、そして歴史自体に興味を持ち、そして光栄のゲームでそれらを楽しみ理解するようになった人種です。『信長の野望』や『三國志』シリーズはもちろん、その他のゲームもすべて遊んでました。
いわば、光栄信者でした。そういうオッサン、当時パソコンでゲームしてた人たちの中には割と多いと思います。
この『三國志漢末霸業』のプレイ感覚は、そのころの光栄のゲームの感覚とまったくいっしょなんですよね。具体的に言うと、『信長の野望』で言えば初代から『覇王伝』くらいまで、『三國志』でいえば初代から『三國志Ⅶ』くらいまでですかね。その辺までのプレイ感覚。
そこにあるのはノスタルジー?
だから、遊んでるとなんだかすべての感覚があの頃に戻ってしまうんですよね。徹夜で1本のゲームを遊んでた、あの頃に。
要は、懐かしいんです。
そこにあるのは、おそらくノスタルジー。遊んでると、中学生のころや高校生だったころのゲーム以外の記憶もほんのりと甦ってくるのです。
キツすぎてブッ倒れた夏休みの部活、昼休みの込み合った校庭での野球、好きだったあの子、日本史の教科書の顔に落書きされた西郷隆盛、国語の教科書の顔に落書きされた正岡子規などが、ハッキリとではなくほわわ~んと鼻の奥に感じられるんです。
若返るわぁ。
だから、もしかしたら『三國志漢末霸業』は、今の若い子が遊んでも面白くないのかも知れません。ノスタルジーというスパイスがないから。
まぁ、そうじゃなくてもシステムも古臭いですしね。あ、それで安心して遊べるってのもあるのか。
最後に
『三國志漢末霸業』は懐かしいから面白い。少なくともぼくら光栄信者だった者にとっては。
だから、あのころ光栄のゲームばっかり遊んでた同志たちよ。
キミらは是非『三國志漢末霸業』で遊びなさい。
そして、いっしょにあのころに帰ろう。