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成宮寛貴が引退を発表したのは、奇しくもフライデー襲撃事件から丸30年後でした。その30年で変わったこと

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2016年12月9日、俳優の成宮寛貴さんが所属事務所を通じて芸能界からの引退を発表しました。

事の発端は薬物使用を週刊誌・フライデーに報道されたこと。まぁそれが本当なのか嘘なのか、ぼくには興味がありません。

この発表をうけてぼくが思ったのは「ああ、ビートたけしのフライデー襲撃事件ってちょうど今くらいの時期だったなぁ」ということでした。

そこで調べてみたらなんとフライデー襲撃事件が起きたのは1986年12月9日。ちょうど30年。何の因果なのか。

ていうか、フライデー襲撃事件って若い人は知ってるのかしら?

フライデー襲撃事件

フライデー襲撃事件(フライデーしゅうげきじけん)とは、1986年(昭和61年)12月9日、お笑いタレントのビートたけし、たけし軍団ら12名が写真週刊誌『フライデー』 (講談社)の編集部を襲撃した事件である。

『フライデー事件』、『ビートたけし事件』、『たけし襲撃事件』などとも呼ばれる。1987年6月10日、ビートたけしに懲役6か月、執行猶予2年の判決が下された(東京地方裁判所、確定)。当時のレギュラー番組への出演については、執行猶予判決が確定するまでの約8か月間謹慎することとなった。なお、当時たけしと交際していたといわれた専門学校生の女性に対する傷害で告訴された記者は、1987年12月22日に罰金10万円の判決を受け、控訴をするも棄却されて判決が確定している。

引用元:フライデー襲撃事件 - Wikipedia

事の発端は、フライデーの取材のやり方。

当時、ビートたけしさんと付き合っていた専門学校生の女性に対するフライデーの取材で、記者が逃げようとする女性の前に立ちふさがって引っ張り倒したりして頸部捻挫、腰部捻傷の全治2週間の怪我を負わせことが始まりでした。

これに激怒したビートたけしさんが講談社にたけし軍団11名を連れて押し込み、当初は暴行するつもりはなかったものの編集者の挑発的な態度から暴行にいたったといわれてます。

まぁ、そんな事件。

それぞれの事後の展開

ここでぼくが注目しちゃったのは、ビートたけしさんと成宮寛貴さんのその後。

ビートたけしさんは事件後にテレビに出演したものの、テレビもマスコミとして当事者だと新聞系メディアに取り上げられたことや、事件についてのテロップが出る出演の番組、そして一部の番組の収録にビートたけしさんが参加してることなどで「なんやアイツ暴力振るうクセに反省もせんとテレビに出てカネ稼いでる」と批判的な論調が強くなっていきます。マスコミの印象操作で結局ビートたけしさんはしばらく芸能活動自粛に追い込まれました。

一方、成宮寛貴さん。

彼が引退となったことで、フライデーの公式Twitterは大炎上しています。「まだシロかクロかわからんのに引退に追い込んだ」「ひとりの人間の人生を狂わせた」「いくら芸能人でも守られるものはあるべきだ」などなど、成宮寛貴さんを擁護する声はドンドン大きくなっています。マスコミはその批判、炎上を止められないでいます。

30年という歳月を経てぼくらが持っているもの

この差は、面白い。

もし30年前にTwitterなどのSNSやインターネットがあれば、「だってフライデーも女性にけがを負わせてる」「やっていいことと悪いことがある」とか言ってフライデーの公式Twitterは今回みたいに炎上しているかも知れません。

逆に今SNSやインターネットなどがなければ、直接の抗議もできませんし、マスコミが成宮さんをあくまでも薬物使用者として報道することで視聴者も「アイツはクスリやって悪いヤツ」「もうテレビに出すな」と思っていたかもしれません。ていうかきっとそうなってたと思います。

そう考えると、ネットやSNSって一般人の武器としてかなり有用なんだなぁと思わざるを得ません。

最後に

何なんでしょう、この30年の差。正に隔世の感があります。

ぼくらは手に入れたネットやSNSを余程気を遣って使わなければならないんじゃないかなぁ、なんてことを成宮寛貴さんの引退のニュースを見て思ったのでした。

 

ではまた。