正月休みにカミさんに付き合っていったとある大型ショッピングセンター。いっつもカミさんが買い物をしている間は本屋か電気屋で時間を潰します。
今回も本屋にて時間を潰してたわけですが、とある歴史漫画を発見してテンション上がってそのまま衝動買いしてしまいました。読むの忘れてたから。
それがこの『風雲児たち』幕末編の32巻。
以前、一冊丸ごと寺田屋騒動という物騒な29巻を読んで感想など書きましたが、今回は一冊丸ごと生麦事件。
『風雲児たち』幕末編29巻をやっと読んだ。丸々一冊寺田屋騒動! - コバろぐ
『風雲児たち』と生麦事件
今回はその『風雲児たち』幕末編32巻について書こうと思うんですが、その前に『風雲児たち』って何?生麦事件って何?と言う人もいらっしゃるかと思うのでまずはそこから。
『風雲児たち』とは
『風雲児たち』はみなもと太郎さんが描いている歴史ギャグマンガです。「大河ギャグロマン」と謳われています。
1979年に関ヶ原の戦いを描いて連載が始まって、色々掲載誌を変えたりしてまだ続いています。作者のみなもと太郎さんは「幕末を描きたい」と思って描き始めたらしいんですが、そのために関ヶ原から開始するというとんでもないこと(ただし、非常に正しいこと)をやったため、40年続けてやっと今回の生麦事件まで来たってカンジですよね。
その辺については、このブログでも書かせていただいてます。
最近では、三谷幸喜さんによってTVドラマになったり歌舞伎になったりしてますから、そちらで知ったと言う人もチラホラ見受けられますね。
とにかく、この『風雲児たち』はギャグマンガなれど江戸時代を知るためにはベストな書籍だとぼくは本気で思っています。
生麦事件とは
この『風雲児たち』幕末編32巻が扱っている生麦事件については、まずはウィキってみましょう。
生麦事件(なまむぎじけん)は、江戸時代末期(幕末)の文久2年8月21日(1862年9月14日)に武蔵国橘樹郡生麦村(現・神奈川県横浜市鶴見区生麦)付近において、薩摩藩主島津茂久(忠義)の父・島津久光の行列に乱入した騎馬のイギリス人たちを供回りの藩士たちが殺傷(1名死亡、2名重傷)した事件。
引用元:生麦事件 - Wikipedia
教科書でも事件の名前くらいしか載っておらず、よく説明する先生でも「生麦事件が起こって外国人が斬られました」くらいしか説明しないような事件です。
しかし、この事件をキッカケに薩摩藩とイギリスは戦争して(薩英戦争)、そののち手を握り維新回天の事業を為し遂げていくことになるわけですから、割と日本史上重要な事件なんですよね。
なのに、何というか、事件が起こった場所が「生麦」ってだけでなんか冴えない事件名になっているのが惜しまれます…。ナマムギジケン…。
『風雲児たち』幕末編32巻を読んだ
さて、みなもと太郎先生はこの生麦事件をどう料理しているのか、ワクワク期待しながら読んでみたわけですが、読了して思ったのは、ぼくは生麦事件について良く知らなかったということです。
事件がなぜ起こったのか、というかリチャードソンをはじめとする斬られた外国人がなぜ斬られたのか、くらいはもちろん知っていましたが、主に事件後のことがスッポリ知らなかったなぁというカンジでした。面白そうとは思えなかったので知ろうとしなかったといったほうが正しいかも知れません。
とにかく、事件後に薩摩が、幕府が、イギリスがどのように動いたのか、その思惑が丁寧に描かれていて非常に興味深かったですね。
特にイギリスをはじめとする列強の軍事的な動きはハラハラさせられますし、まるで関ヶ原後の家康との交渉を彷彿とさせるような薩摩の強気な態度、そして軟弱な幕府の対応なども納得するカタチで腑に落ちてきます。この辺はみなもと太郎先生安定した描き方ですねぇ。
そして、噂を聞いた京都庶民が薩摩藩を「英雄」とみなすのも考えてみれば分かることなんですけど、「なるほどそりゃそうだよな」となるわけです。この気分があったからこそ、のちの京都での攘夷派の天誅というテロが横行したわけですからね。
そして、それを予感させるように、田中新兵衛による島田左近の暗殺、武市半平太が実質率いる土佐藩の入京でこの32巻は終わるのです。
ああ、ちなみに若きイギリス人アーネスト・サトウも初登場して個人的にはテンション上がりました。好きな人物なので。
とにかく、「いよいよ」といったカンジですな!早く続き読みたい!
最後に
めちゃくちゃ重要な事件なのに誰もがサラっと通りすぎちゃう「生麦事件」。この『風雲児たち』で一旦ジックリ体験してみるのも良いかと思いますよ。
というか是非読んでください!通して読め!面白いから!