コバろぐ

社会人ブロガー頑張る

やめろ!何者かになろうとして何者にもなれなかったオッサンは中嶋敦『山月記』を読むな!

当ブログではアフィリエイト広告を利用しています

★Kindle本は安く買おう→【お買い得】現在進行形のKindleセール情報!【随時更新】


最近、スマホに青空文庫のビューワアプリを入れました。

せっかく過去の文豪の名作をまとめて読めるんですから読まない手はないですもんね。

入れたのはこのアプリ。

Yom!青空文庫

Yom!青空文庫

Seiichirou Tanaka無料posted withアプリーチ

で、まずは知ってる短めの小説やら国語の授業で習った覚えのあるのやらを片っ端から読んでるんですが、先日、中島敦の『山月記』に行き当たりました。

確か高校の国語で習ったような。オッサンが虎になってうんぬんって話だったよなーって軽い気持ちで読み始めたんですが、後悔しました。

読むんじゃなかった…。

中嶋敦『山月記』あらすじ

確か高校の国語で習ったような気がしますので、なんとなく覚えてる人もいるかと思いますが、まずは『山月記』のあらすじをば。

若くして出世して「あいつ頭ええなぁ」と話題の李徴(りちょう)という男がいましたが、この男「俺頭ええし。ホンマはもっと出世してええのに、なんでこんなクソな仕事しとんねん」と思って「やってられるか!お前らアホと仕事なんかしてられへん。俺は詩を書く。天才やし、後世に残る詩が書けるで!」と官を辞して山にこもりひたすら詩を書いていました。

しかし、そんなこと言ったって甘くはない。ついに貧乏に耐え切れず妻子のために山を下りくだらない仕事に就きました。しかし、かつてバカにしていたやつが出世していて彼らの命令を聞くことはプライドの高い彼にとってかなりの屈辱でした。ついに李徴は発狂して駆け出し、二度と戻ってきませんでした。

翌年、袁サン(サンは「にんべん+參」、第4水準2-1-79)という男が勅命を奉じて使いの旅をしているときに、ある夜、あるところで「ここから先は人食い虎が出るから、明るくなってから出たほうがええで」と注意されました。「人数も多いし大丈夫や。いくで」と袁サンはかまわず出発、果たして叢から虎が飛び出てきました。

グオーっと袁サンに襲い掛かる人食い虎、しかし虎は身を翻して元の叢に戻り「危ね!」と言いました。その声に聞き覚えのある袁サン、「お前、李徴か?」と聞くと叢の中からすすり泣きの声が聞こえる。「そうや、李徴や。ワイは李徴や!」

そこから袁サンと李徴は話をしました。李徴の言うことにゃ…。

あらすじはこんなカンジです。

 

李徴の独白にオッサンは涙する

問題は、ここからの李徴の独白です。

この記事のタイトルで「何者かになろうとして何者にもなれなかったオッサンは読むな!」と書いてありますが、読んじゃいけないのはここからです。

プライドが高く周りをバカにしてたのに自分の才能の芽が出ず狂っちゃった李徴。この男こそ「何者かになろうとして何物にもなれなかったオッサン」そのものなんですが、重なるでしょう、自分と。ぼくは重なります。

人生を後悔しながら生きているオッサン、自分の才能を諦めつつ何もできなかったのは自分のせいばかりじゃないと思って何とかプライドを保ってるオッサン、それこそ李徴であり、ぼくらなのです。キツい!

人間であった時、己は努めて人との交を避けた。人々は己を倨傲だ、尊大だといった。実は、それが殆ど羞恥心近いものであることを、人々は知らなかった。勿論、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云いわない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。

我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによって益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。

今思えば、全く、己は、己の有っていた僅かばかりの才能を空費して了った訳だ。人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。

要点は、4つ。

  • 尊大に振舞っていたのは臆病だったからだ
  • 自分に才能がないことを知るのが怖いから努力を怠り、しかし才能を信じていたから凡人と同列にいることができなかった
  • 自分の才能の芽を自らで摘んでしまった
  • 才能がないのを知られたくないという卑怯な思いと、努力をしない怠惰が自分のすべてだった

どうだ、今地べたで必死に蠢いているオッサンどもよ、身に覚えがあるだろう。

まこと、キッツいな。

もうそんなこととうの昔に気付いて後悔しながら必死に生きてるのに、傷をえぐらなくたっていいだろうよ、という気持ちになってしまいます。

キッツい。

最後に

ああ!読みたくない読みたくない!そんなことわかっている!若気の至りだ(これも言い訳)!

しかし、読むなと言いましたが、自らの戒めとして座右において読み続けるのも大事かもしれません。

もうしょうがないこれから先の人生諦めるしかない、と思ってしまったら虎になってしまうかもしれないから。