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「メディアクリエイター」の若者たちを見てると、松下村塾を思い出した

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いまさら“ブロガー、メディアクリエイター論争”に参加する気はないけれども、あの若者たちをみて思ったことがあるので書いておくことにします。

件の記事を見て「あぁ、若いなぁ、素晴らしいなぁ、若いなぁ、コンテンツを作るのはメディアクリエイターとは違うなぁ、若いなぁ」と思うぼくはオッサンなわけですが、そのオッサンから見ると、彼らは幕末の長州藩の松下村塾のようだなぁと思わずにはいられなかったのです。ええ、こじつけです。

松下村塾というサロン

知ってますか、松下村塾。

松下村塾(しょうかそんじゅく)は、江戸時代末期(幕末)に、長州萩城下の松本村(現在の山口県萩市)に存在した私塾である。吉田松陰が同塾で指導した短い時期の塾生の中から、幕末より明治期の日本を主導した人材を多く輩出したことで知られる。

引用元:松下村塾 - Wikipedia

指導していた吉田松陰という人は、有名なのでみなさんご存知でしょうけども、それはそれは過激な人で「日本をどうにかするんじゃ!そのためには行動!そのためには狂え!みんな狂え!そこ!狂い方が足りない!行動あるのみ!火のついたように行動せよ!考えるな!狂え!」と言っていた人です。そんな松陰に惹かれた若者はぞくぞくと松下村塾にやってきて、松下村塾はそれこそサロンのようになりました。

時は幕末。ペリー来航以来、特に西国の藩の若者たちは幕府の弱腰外交に怒りの声を上げていた時期です。どの藩でも、上層部のオッサンたちは幕府の方針には従う姿勢です。若い藩士はそれにたてつく図式ですね。

若い人は若いだけに現実と自分たちとの調和が出来ない。それは若さのいいところです。

その中で、松下村塾というサロンがあり、そのトップが若者に「狂え狂え!」と言っている状態の長州藩の場合、若者は結集していて気が大きくなってるから上層部のオッサンにものをいうわけです。「頭の固いオッサンどもはどけ!ワシらが若い力で藩を切り盛りしたる!」若い力のみなぎる活力。誠に素晴らしい。

 

ね、似てませんか。既存の価値観とその体現者オッサンに新しい価値観で物言う若者。昔っから人間社会で繰り返されてたことです。

 

松下村塾系の暴発

で、実際に松下村塾の連中および若い藩士たちは藩の実権を握ります。しかし「狂え!」と死んだ恩師から教えられた現実を見れてない若者は主導権を握るとまぁ無茶をするわけです。それこそ狂ったように。で、すみませんが端折りますよ、蛤御門の変やら何やらあって、長州征伐にまで話が大きくなったわけですが、本当ならここで長州は滅亡するはずでした。

若い力の暴発が、藩を滅亡の危機にまで追い詰めたのです。

しかし、ここで薩長同盟というミラクルが起きて形勢逆転、時勢は一気に大政奉還、戊辰戦争、明治維新へと続きます(端折ってます)。

生き残った松下村塾系の人物は政治の要職に就き、さらに陸軍の母体となりました。

 

ね、彼らのうちの何人かはこういうふうに成功するんでしょう。うらやましいですな。

 

その後の長州気質

「狂って行動すれば何とかなる」明治維新での成功は、長州出身の要人たちにこういう意識を植え付けました。

ぼくは、その気質が長州閥が中心の陸軍に色濃く残っていたからこそ、日本は太平洋戦争に向かっていったんだと思ってます。「行動すれば何とかなる」その影響は絶対にあったはずです。

そしてご存知の通り、日本は戦争に負けてしまったのでした。チャンチャン。

 

まぁ、彼らが暴発するとは思えないけども(暴発する若者の集団もいたような気がしますが)、うまくやってほしいなぁと思わざるを得ません。

オッサンブロガーは応援しておるぞ、若者よ。