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『鎌倉殿の13人』のダーク義時にヘロヘロになってる人のために『吾妻鏡』の月蝕の話を紹介しよう

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2022年11月8日、皆既月食だったんですけども、天王星食が同時に進行するのが442年ぶりだってんで結構話題でしたね。みなさん見ましたか。

そして、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では覚醒した三代将軍源実朝を数々の政敵を葬ってきた北条義時がなんとかしちゃいそうでソワソワしちゃってるみなさん、覚悟しときましょう。

なんで月食と大河ドラマを並べて記したかといいますと、ひとつご紹介したい話があるんです。それが、月食の夜の義時と実朝の話なんです。『吾妻鏡』に載ってます。

実朝と義時の仲良しエピソード

『吾妻鏡』の元久元年(1204)9月15日の条にそのエピソードはあります。

その日は、ちょうど月食だったようですよ…。

元久元年(1204)九月大十五日甲戌。霽。將軍家去る夜白地に相州の御亭へ入御す。

即ち還御有らんと欲するの處、亭の主 抑留 奉り給ふ。今夜月蝕爲に依て、意不亦御逗留す。亭の主殊に興に入り給ふ。

其の間、行光座に候ひ、申して云はく。京極大閤〔師實〕の御時、白河院宇治于御幸す。

還御有らんと擬い、餘興を盡不之間。猶御逗留申被る。

而るに明日還御有ら者、宇治自り洛陽北于當る。方忌之憚り有る可しと云々。

殿下御遺恨甚だし之處、行家朝臣喜撰法師の詠歌を引き、今宇治都の南に非。巽爲之由、之を申す。

茲に因て、其の日還御を止被ると云々。 今夕月蝕。尤も天之然ら令む所也と云々。相州殊に御感すと云々。

意訳しますよ。

1204年9月15日、晴れ。

将軍実朝は、突然思いついて相州(義時)の屋敷にフラっと行きました。

将軍はすぐに帰ろうとしましたが、義時は「まぁまぁええやん」と引き留めました。義時が、「だって、今夜は月食やで」というので仕方なく泊まることにしました。義時は「やったあ!」とめっちゃ喜びました。

行光(二階堂?工藤?おそらく二階堂)もその場にいて「藤原師実サンが関白のとき白河院が宇治に行ったんやけど、帰る時間になってもまだ遊びが終わってへんから泊まることにしたんや。でも明日京に帰るには北で方角が悪いから今日帰ったほうがええちゅうことになってもうて、師実はガッカリしたそうや。そしたら行家が喜撰法師の和歌を引用して今日がええってわけでもないで明日でええやんと言ったから泊れたんやて。今日の月蝕も天の配慮なんやろなぁ」とか言いました。

義時は「せやせやそのとおりや」と言ってとても感心して喜んだとさ。

無茶苦茶意訳しましたよスミマセン。

でもこれ読むと、源実朝と北条義時が仲良しなのがよくわかるでしょう。

義時が「ええやんええやん泊まっていきーな」って誘ってるのが、大河ドラマ見てる身からすると、泣けますよね。

最後に

義時って、史実ではしっかり実朝をサポートしてるイメージありますよね。

『吾妻鏡』って、正当な史書でありながらこういう細かいこともいっぱい書いてあって御家人の人となりなんかも丸裸になってて面白いので、『鎌倉殿の13人』でこの時代に興味をもったならば、一回読んでみてもいいと思いますよ!