読売ジャイアンツの終身名誉監督、長嶋茂雄さんが亡くなりました。
日本のプロ野球の人気を支えた人物なのは間違いなく、プロ野球好きとしては悲しい。
長嶋茂雄死去
2025年6月3日、その訃報をぼくは朝の日課『ラヴィット!』視聴をしているときにニュース速報で知りました。
ニュース速報のあの音が鳴ったときは「なんや北朝鮮がミサイル打ったか、石破さんが辞任したか」とかテキトーなことを考えてたんですが、出てきたニュースは「長嶋茂雄、死去」。
思わず「うわぁ!」と声が出ちゃいました。
その後いろいろネットで調べたらどうやら間違いないらしい。
日本のプロ野球を背負って立ち続けたその勇姿からは程遠い姿の近年でしたが、これでやっと楽になっていただけるといいですね。
ぼくと長嶋茂雄
今年53歳になったぼくにとっての長嶋茂雄という英雄を考えてみると、当然現役時代は記憶にありません。引退セレモニーのときの「我が巨人軍は永久に不滅です」という言葉だけはモノマネとかで知ってた程度です。王さんとのON砲でジャイアンツを9連覇に導いたことは「すげぇ」とは思ってたものの、数多くいる元プロ野球選手の一人でした。あ、あと監督初年度は最下位だったことは知ってました。あと天然エピソードとかも知ってる。
そんな「すごいプロ野球選手」だった人のひとりだった長嶋茂雄さんのことを、ぼくが「あ、この人ホンマにスゴいんや」と改めて思ったのが第2次監督時代の2000年。
江藤選手加入に伴い背番号33を江藤選手に譲り、この年から現役時代の背番号3に変わったんですが、その背番号3を披露するときです。ユニホームの上にジャンパーを常に着てマスコミやファンには隠し続け、満を持して披露したのです。
このときの世間の反応を見てぼくは「うわぁこの人ホンマモンのスーパースターやんけ!」とビックリしました。
その後から現役時代のプレーや記録を色々調べるようになりその人となりも知り、さらに「「なんやねんこのバケモノ…」と感じました。すごい。
長嶋さんがいなかったらおそらく日本プロ野球ってのはもっと違うものになっていただろうし今ほどの隆盛はなかったかも知れない、そう思わせるほどの影響力。その影響は日本全体の発展にも寄与していると思いますし、正に日本の宝。
長嶋茂雄という人は、そんな偉人です。
最後に
というわけで、長嶋さん長らく日本プロ野球に尽くしてくれてありがとうございました。
ゆっくり休んでください。
合掌。