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石田三成の旗印「大一大万大吉」って何なの?

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関ヶ原の戦いの際、石田三成が旗印に使ったとされる「大一大万大吉」って知ってます?

だいいちだいまんだいきち。

戦国武将 家紋 蒔絵シール 「石田三成 大一大万大吉 金」

一体これって何なんでしょう?

なんなん?

「大一大万大吉」って何?

読みは「だいいちだいまんだいきち」、その意味は「一人が万民のため、万民が一人のために尽くせば、世の中は大吉(幸福)となる」という意味だそうです(諸説あります)。

こう聞いて石田三成の佐和山での治世をみてみると「なるほどなぁ」と思ってしまいますよね。おそらく、三成の理想だったんじゃないかと。

三成は己の理想を背負い、決戦に向かったのかもしれません。知らんけど。

戦国武将家紋入り 高級シルク扇子 『石田三成』

石田為久

一番最初にこの「大一大万大吉」を使用したのは、1184年に木曽義仲を討って名をあげた、石田為久だとされています。

このことを、三成は勉強のうちに知って「これワシにピッタリやん。しかもワシと同じ石田サンや。つかお」とか思って使うことにしたんでしょうか。

三成は、家康を京都で悪名を馳せた木曽義仲になぞらえ、自分を石田為久になぞらえて奮起していたのかもしれません。

戦場での旗印

立版古「関ヶ原合戦図屏風三成本陣」編

この「大一大万大吉」はあくまでも旗印であって家紋ではありません。旗印とは正に旗に描くシルシで、乱戦の中でも兵士が「自分とこの舞台はアソコや」とわかるように掲げるものです。多くの大名が家紋をそのまま用いたこともあり、旗印=家紋とか思いがちですけれども、違う場合もあるということです。

三成の石田家の場合、家紋は「九曜文」がありますので「大一大万大吉」はあくまでも旗印だということですね。

 

三成は天下を狙っていたのか?

さきほど、「大一大万大吉」の意味は「一人が万民のため、万民が一人のために尽くせば、世の中は大吉(幸福)となる」だと書きました。

しかし、穿った見方もあるようです。「大一」は合わせると「天」となることから、三成は天下を狙っていたのではないか、というものです。

でも天下を狙ってるのであれば、武断派の加藤清正や福島正則、黒田長政なんかを自分のウザいほどの真っ直ぐさゆえに家康に走らせたりしないんじゃないかと思います。天下を狙ってるのにセッセと味方を減らすなんてあり得ませんから。まぁ、三成なら何故かそうなっちゃうってのはあり得ますけども。

しかし、「大一」を合わせると「天」とか、のちに家康が豊臣家にイチャモンをつける方広寺の鐘のこじつけと一緒ですがな。このことからもこのイチャモンは家康や徳川家の方針なんでしょうね。

方広寺の鐘ってのはあれです。鐘に書いてある「国家安康」「君臣豊楽」の句について、「国家安康」の4文字で「家康」の文字を分断し、「君臣豊楽」の4文字で豊臣が天下をひっくり返して君主となる、すなわち家康及び徳川家への冒涜である、という家康が豊臣家につけたイチャモン。

イチャモンから大坂の陣、豊臣家の滅亡へと続いていくんです。

最後に

石田三成にとって「大一大万大吉」は自分の理想であり、おそらく三成はその理想を背負って決戦を迎えたんだと思います。

しかし、理想に真っ直ぐすぎて豊臣政権内で浮いてた三成が理想を背負って戦場に出てきたわけですから、諸侯は「またか…」とか言ってウザがって反発したのかもしれません。

え?逆効果だったの!?みたいな。