秘書に録音されちゃったすさまじい罵声で時の人となり、自民党都議選の敗因とも言われるようになっちゃった豊田真由子大センセイ。
いや、スゴイね。ぼくも人を罵倒するときはエゲツないとかごく一部で言われていますが、そんなぼくでも「スゲェなwww」って思っちゃったくらい。
あれ聞いてて、ぼくはなぜか片桐且元を罵倒する淀君みたいだと思っちゃったのです。
淀殿(淀君)と片桐且元
関ヶ原合戦のあと、石田三成はじめ豊臣政権の中枢にいた人物はみな大坂城からいなくなり合戦前とは一変。家康が(豊臣家の五大老の権限で)采配して、家康の都合のいい豊臣家が作られていき、その中に片桐且元はいました。そして当然、秀頼の生母・淀殿は残っています。
(画像掲載元:淀殿 - Wikipedia)
淀殿は片桐且元を信頼し、豊臣家のために頼りにしていたのは且元に贈った書状も残っているので明らか。且元もその期待に応えようと奮闘していましたが、いわゆる方広寺鐘銘事件で2人の関係に亀裂が生じます。
詳細は省きますが、この事件で且元は豊臣家と徳川家との間で板挟みになり苦しみます。そしてこの事件が契機になって淀殿と且元が険悪な関係になり、ヒステリックな淀殿に激しく叱責される且元、なんて構図が小説やドラマに良く描かれたりしてますね。
豊田真由子センセイの罵倒のセリフを淀殿に置き換えてみる
そんな状態の淀殿と且元が、今回の豊田真由子センセイと秘書の方に重なる。なので、あの罵倒のセリフを淀殿に置き換えて書いてみようと思います(見切り発車)
このハゲーーーーーーーーーーーッ!
ちーがーうーだーろーーーーーーーちがうだろーーーー
ちがうだろーーー!!
バカかお前は!?
頼むから私に恥をかかせるな!
お前が受けた痛みがなんだ!
私が受けた痛みのどのくらい分かるかーコノヤロウ!
金地院崇伝から話を聞いて大野治長が行けっつったんだよ!
おー!?お前はどれだけ私の心を叩いている!
お前はどれだけ私の心を叩いている!
わかってないよ!
お前はどれだけ私の心を叩いている!
これ以上私の評判を下げるな!
これ以上私の評判を下げるな!
私の心を傷つけるな!
これ以上、私の秀頼を怒らせるな!
お前が叩くよりよっぽど痛いよ!
叩いていいよ、私のこと!
そっちの方がよっぽど楽だよ!
たたかれるほうがよっぽど楽だよ!
叩いていいよ、私のこと!
方広寺の鐘みたいに!
だから頼むから秀頼を怒らせるな!
秀頼を怒らせるな!頼むから!
お前は頭がおかしいよ!
私が言った、ただ金地院崇伝から話を聞いて大野治長に行かせろって言ったんだよ!
お前が行け!
お前が今から行ってこい!
お前が話つけてこいよ!
お前が全部ハナシつけてこいよ!今日中に!
かくして、片桐且元は罵倒を録音し、家康方へ奔ることになったのでした。
めでたしめでたし。
最後に
見切り発車で始めたらなんだか名詞のところを入れ替えただけになってしまいましたが、完全に淀殿のイメージで再現されるから満足(自己マン)
淀殿と豊田大センセイ、やっぱ重なるなあ。淀殿のヒステリックな性格は織田家の血なんでしょうかね。
ところで、且元のこのころの心情についてはいずれ改めて真面目に書こうとは思ってます。 だから且元さん、今回は許してちょーだい。