ウチの息子たち、長男は高校2年生、次男は中学3年です。
その年ごろの男子と言えば、頭の中はエロばっかりのはずです。そこまでじゃなくても、その中心はエロで埋め尽くされてるに違いありません。
でも、それをどう処理しているのか(いや、物理的な意味じゃなく)よくわかりません。
それはぼくが彼らの親だからなのか、はたまたぼくらの時代とは事情が違うからなのか、その辺がよくわかりませぬ。そして、だから不安になったりするんです。
もちろん、ぼくらもそういった時期を過ぎてきてるわけです。でも、ぼくらとぼくらの息子らとでは、置かれている状況が違いすぎるように思われます。
ぼくらの場合
頭の中のエロな要素によって悶々とした場合、ぼくらはそれをどうにかするためにエロいコンテンツを必死に入手しようとしましたし、その手順はそりゃもう大変だったわけです。
エロ本ひとつ手に入れるにもそりゃもう大変な思いをしてきましたわよ!
ぼくなんかの場合、ターゲットをひとつの本屋さんに絞り、店主のオッサンとバイトのお姉ちゃんがレジに立つ日時を徹底的に調べ上げ、オッサンがレジにたつ日時に満を持して店に行き、エロ本を手に取りつつも緊張して店内をウロウロしたりしてました。
初めてのときなんか2時間本屋をウロウロしてましたからね。エロ本持って。そうやってやっと買ったのが『スコラ』だという。『ザ・ベスト』なんか逆立ちしたって買えませんがな(この段はオッサン向けですwww)。
またあるときは、親父が隠してる裏ビデオを家族がいないときに家中を探し回ったりもしました。ちなみにぼくは親父の大事な宝箱を突き止め、存分に多種多様な裏ビデオを楽しんだことですけども。
とにかく、エロいコンテンツにたどり着くまでにむっちゃくっちゃ苦労してきたわけです。
息子らの場合
それにくらべて、今の中学生高校生の置かれている状況はどうだ!?
彼らは、手を伸ばせばいつでもエロコンテンツに手が届く場所に立ってます。コンビニに行けばエロ本は当たり前の顔をしてフツーに売られているし、しかもそれは『スコラ』みたいなソフトなエロじゃないし、ネットに溢れる本格的にエロい動画も自分の手中にあるスマホで超絶カンタンにご覧になれるんです。
ていうか、動いてるのを手軽に観られるんだから、エロ本なんて必要ないのかもしかして。何だよそれ!ぼくらの苦労は何だったんだよオイ!みたいな。
とにかく、そこに苦労はなーんにもなーい。
なんの苦労も一切しないでフツーにエロいコンテンツにベタベタレロレロと触れることができるわけですね。なんだよそれうらやましい。
ずっちーな!
それでいいのか
しかし、カンタンすぎるゆえに不安です。彼らはあまりにもエロや性をカンタンに入手できるが故にカンタンに考えてやしないか、ということです。あまりカンタンに考えてカンタンにナニしてしまいやしないか、ということです。
思うに、エロを存分に楽しむためには“貴重性”や“背徳性”が大事です。
「あそこにエロ本が落ちてたってよ!」とか言ってはそこにみんなで急行して雨に濡れてガビガビになったそれを見たり、「アイツがオヤジの裏ビデオを見つけたってよ!」とか聞いたらそいつの親がいないときを見計らってそいつの家にいって鑑賞会を開いたりしつつ、誰かに気付かれるんじゃないか親が返ってくるんじゃないかというスリルを味わう。そういったことがゴチャマゼになってエロの貴重さと背徳感をぼくらは習得していったんです。
そして、その“貴重性”と“背徳性”があって初めて、男というモノは性的対象としての女性へのリスペクトを育めるんです。大変な思いをして見たそれを持っているのが女性なんですから、これはもうリスペクトするしかない。そして女性へのリスペクトがないとエロへの感情は良くない方向へと暴走する。
つまり、ぼくらの息子たちの世代は、“貴重性”と“背徳性”を持たないエロに囲まれていて女性へのリスペクトを持ちえないんじゃないか、それを持ちえないがゆえに大それたことをしてしまうんじゃないか、そこが大いに不安なんです。
性的暴力やそれに伴う事件の増加や、あるいは現代ニッポンが抱える少子化の問題にも関わってくる問題だと思わずにはいられません。
最後に
ていうかお前らよー彼女おるんかよーおるんなら紹介しろよーどこまでいったんだよコノヤロー。
とか思っても、ぼくは一度も彼女を親父に紹介したことがないので、息子らが彼女を紹介してくれるとかいう期待はできないだろうなぁ。
ずっちーな!