先日、仕事中になぜだかわからないけど光栄の初代『三國志』をプレイの仕方を思い返していました。ぼくは『三國志』を遊ぶときの最初の戦略は決まっていたのですが、それをなぜか思い出していたのです。
そして、「あれ?そういえば最後まで君主動かしてなくない?」と自分のことながら思ったので、今回はそのことを書いておきます。
ええ、まったく意味はありません。
三国志最初の戦略
『三國志』を遊ぶときは誰を選んだにせよ、最初にする命令は「放浪」。え?放浪すんの?と大抵の人はお思いになるでしょうが、放浪するのです。
そして20司隷をめざす。司隷は漢の首都である洛陽を擁する地方です。豊かで守りも固いので、ここを奪って本拠地にしようというわけです。
しかし、そこを治めるのは悪名高き董卓。奪えるの?とみなさんは思われるでしょう。それが奪えるんです。
初代『三國志』って、のちの『信長の野望・覇王伝』と並ぶ放火ゲーですからね。
(昔プレイしたときのスクショが残ってました。この画像は隣国の曹操でプレイしたやつなので「放浪」は使ってませんけど)
司隷で旗揚げをしたらその場で董卓との戦争になるのですが、少ない武将をうまく立ち回り風向きを計算に入れながらうまく火計を使って董卓を焼き殺すか退却させれば勝てるんです。
ここで注意すべきは、他の勢力に兵20000を持っている三国志最強の武将・呂布を引き抜いてもらっておくこと。
忠誠度が20と極端に少ない呂布は大概すぐにどこかの君主に引き抜かれていくんですが、自分が旗揚げするときにまだ残ってるとこっちに寝返ってきてしまうんです。
最強の武将がこっちに来るならいいじゃんと思うかもしれませんが、こっちは放浪軍ですから、兵糧がめっちゃ少ないんです。そこに兵20000が味方になっちゃうとすぐに兵糧がゼロになって負けてしまいます。十分に気をつけましょう。
旗揚げは呂布がどっかに行ってから。
首都を獲ったら動かない理由を考えた
で、司隷を取ったらあとはジックリと天下統一に向けて動きます。
ぼくの場合、武将を上限の20人になるまで登用し、それぞれにMAXの20000人の兵士をつけてから10人ずつ周囲に押し出していくってやりかたをしていました。
そのときに、自分の分身である君主は一切司隷から動かしませんでした。君主は首都で帝を擁して各方面に命令を下すってイメージですかね。
まぁ、史実でも許都に帝を迎えてからの曹操はそんなに動いてないような気もするので、これは理に適ってるのかもしれませんが、しかしこれはゲームの話ですからね。君主は大概能力が高いわけで、前線に出して活躍させるという選択肢もアリのはずです。
なんでぼくは君主を動かさなかったのでしょう?
思い返してみると、『信長の野望』シリーズでも大名はそんなに動かしてた記憶はありません。そこに理由を見出そうとしても、どう考えてもワケなんかないんです。強いて言えば、実際の史実のイメージを踏襲して雰囲気作りといったところかな。
なんてことを考えるとはなしに考えてたってだけの話です。
最後に
みなさんはどうですか。
歴史シミュレーションゲームをするとき、君主や大名は動かしますか?それとも動かしませんか?
まぁ、どうでもいいんですけど。