静御前。
少しでも日本史に興味があったら知ってる方は多いかと思います。
そんな静御前のお墓を偶然見つけました。
源義経の愛妾、静御前
静御前は、平安時代末期から鎌倉時代初期に生きた女性白拍子です。源義経の妾として有名ですね。
(画像掲載元:静御前 - Wikipedia)
義経を愛し愛され割とずっと同行していたみたいなんですが、源平合戦後に兄・源頼朝と対立した源義経と一旦別れることになります。しかし別れて京都に向かう途中だか義経を慕ってあとを追っているときだったかに山僧に捕らえられ、鎌倉の北条時政に引き渡されてしまいます。
そして1186年4月、頼朝の命令で鶴岡八幡宮の前で白拍子を舞うときに、「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」という義経を慕う歌を唄って頼朝を激怒させ、頼朝は静を殺そうとしますが北条政子のとりなしで命は助けられることとなりました。その後、静は義経の子を出産、これが男子だったため「女子なら助ける、男子なら殺す」という頼朝の命によりこの子は由比ヶ浜に沈められてしまいました。
その後、京に返されましたが、その後の消息は不明です。
静御前の墓
先日、仕事で埼玉の栗橋周辺をウロウロしているときにそんな静御前の墓を偶然見つけたのです。
「どこでどうなったのか分からない静御前の墓がなぜここに?」と不思議に思いつつ行ってみると、ありましたありました。
ここから奥に入ると、立派な墓石があります。
そして脇には源義経の招魂碑と由比ヶ浜に沈められた男子の供養塔もありました。
なんというか、ここで悲劇の親子が集っているかと思うと切ないですね。
みなさんも近くに行ったときには、この可哀そうな女性に花でも手向けてあげてください。
まぁ、周りに何があるってわけではないのでなかなか旅行で来るって人はいないでしょうけども。
ちなみに、ホントに駅前なので車だと割とキビシイです。
静御前終焉の地についての伝説
しかし、なんでこんなところに静御前の墓があるんだろう…と思うわけですが、そもそも静御前の存在を確認できるのは『吾妻鏡』のみであり、その存在や人生が実際どうだったのかは今は知る由もないのです。
そういう人物が人気がある場合、人気があるがゆえに各地で伝説が生まれます。「どうせ分からないならここに居たことにしたっていいだろう」ってことですね。そんなわけで、「静御前はここで亡くなった」という場所も実はあちこちにあるんです。
ざっと見ただけでも岩手県宮古市、兵庫県淡路市、奈良県大和高田市、新潟県長岡市、福島県郡山市、 長野県大町市、福岡県福津市、香川県東かがわ市、山口県山口市、などに静御前の終焉地としての伝説が残り、ゆかりの地名があったり偲んで植樹されたり祭りが催されたりしています。
実際のところは、静御前がどこで亡くなったのかは、わかりません。
最後に
静御前は、その生き様から大衆うけするのは間違いなく、それがゆえにあちこちにお墓があったりします。
なんというか、ご本人はなんか落ち着かないでしょうね。