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『鎌倉殿の13人』の源義経のサイコパスな描かれ方がイイ

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2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。なかなかどうして面白い。何度か書いてますけども、大河ドラマとしては「うーん…」と思うところがあるものの、三谷作品として。

その中でも最近目立ってきたのが、源義経。菅田将暉さんが演じていますが、これが今まで数々のドラマで描かれてきた中で、一番いいかも。

鎌倉殿の13人 源義経
(画像掲載元:https://twitter.com/nhk_kamakura13/status/1471330496936353799

“人気者”源義経

鎌倉幕府の創設期を描く作品には欠かせない源義経と言えば、昔っから大人気の武将です。なぜ人気なのかと言うと、その理由は彼の波乱万丈の人生の悲劇性にあります。

確かに、兄・源頼朝のために戦って戦って平家を滅ぼしたのにも関わらず頼朝に拒絶され朝敵となってしまい、最後には頼朝の命を受けた藤原泰衡に攻められ自刃したというその生涯は、聞くものの涙を誘います。「なんでそんなことになってしまったんだ可哀そうに…」というわけです。

日本人って報われない無邪気ものにどうしようもなく肩入れしちゃう習性が確かにあり、それが義経より始まったのかその習性より義経がクローズアップされたのかはわかりませんが、その日本人の習性の走りといっていいかもしれません。それゆえ「判官贔屓(ほうがんびいき・はんがんびいき」という言葉も生まれてるくらいです。「弱い立場のものにはどうしようもなく同情を寄せてしまう」という意味ですが、「判官」とは義経のことです。

まぁとにかく、源義経は昔っから人気がある人物です。その期待から生存説も数多くあり、そのうちのひとつが「義経=ジンギスカン説」だったりします。

“政治的痴呆”源義経

義経は、その人気ゆえに今までドラマではイケメンの悲劇の名将という有難い描かれ方をしてきました。悲劇の主人公がブサイクじゃ困りますからね。

しかし、そもそもその悲劇を生み出したのは自分のせいです。

平家討伐の折には周りの意見を一切聞かず独断専横をくりかえしたり、後白河法皇から勝手に官位をもらったりするんですが、これは下手をしたら「坂東武者の神輿」にすぎない頼朝の立場を危うくするものです。神輿としての立場は大丈夫だったとしても、義経が頼朝をないがしろにして独立しようとしていると思われても仕方がない所業です。

しかし、そういう政治的なバランス感覚がなく、「こんなことしたら兄上は困るだろうな」ということも何も考えずに平気でできちゃうこういうところが義経の弱点です。坂東武者からみたら「頼朝は弟を優遇している」と見えなくもないのに、それがわからない。後白河法皇は頼朝と義経の分断を考えて義経を持ち上げたのかもしれませんが、そんなこと意に介さずきっと「わーい!兄上こんな官位もらったよ!」と無邪気に思ってたところがあるのです。

司馬遼太郎さんはその作品『義経』の中で、その様を「世界史的に稀有なジェネラル(将軍)の才能の持ち主だが政治的痴呆」と評しています。うーん、言い得て妙。

“サイコパス”源義経

しかし、『鎌倉殿の13人』では、さらに一歩踏み込んで義経が描かれている。

今までは、義経のその政治感覚の無さを描いた作品もあるものの、大抵は義経といえば単純に「悲劇の名将」として描かれていたものが多かったところ、『鎌倉殿の13人』ではさらに「なぜ義経は政治的痴呆なのか」というところが描かれているような気がするんです。

つまり、彼はガキ臭いサイコパスだと言うことで。

ウサギの取り合いで猟師と矢を遠くに飛ばす勝負をすると言ってその猟師を射殺したり、戦に出してもらえないと癇癪を起こしたり、義円を追い出すために騙したり、その片鱗は回を追うごとに増えていってます。

三谷さんは、社会性がなく同調性がなく幼い、そんな人物のまま生き延びてきたからこそ義経は大人に必要な政治感覚と他人とのコミュニケーションの能力がまったく持ち合わせていないと言いたいのではないでしょうか。

義経は何でああいった人物なんだろう、と考えたときに、この描き方は妙に納得できるところです。

最後に

まぁ、そんな友達になりたくないような人間である源義経ですが、武蔵坊弁慶という豪傑が身を投げ出して忠誠を誓ったりしてる。ということは、幼稚なサイコパスにはないはずの魅力があったりするのは間違いない。その辺も人として面白いですよね。

今後、そんな面も描かれるのだとしたら、菅田将暉さんの怪演もますます光ってくるでしょう。楽しみですね。