さて、豊臣秀吉、「とよとみひでよし」ではないとしたら、どう読むでしょう?
なんて読むか、ちょっと書かせていただくのでよかったら読んでください。
正解は最後に(意地悪)。
姓と名字
姓は「かばね」と読みます。皇族が臣籍降下するときに天皇からもらう「源」姓や「平」姓がそれです。天皇から賜るので「賜姓(しせい)」と言います。それで朝廷と縁を切り、臣となるわけです。基本的に、正式な名乗りをするときには姓をつかって「の」がつきます。
源頼朝・平清盛・藤原道長・橘諸兄、源平藤橘(げんぺいとうきつ)を名乗るこの人たちを読むときには全員「の」を付けるでしょう。下賜される代表的な姓は源平藤橘の4つです。
一方、名字は、源平藤橘が増えてきて区別するときに生地を名乗ったりして出来上がったものです。木曽義仲っていったら木曽に住んでる義仲くん、熊谷直実といったら熊谷に住んでる直実くん、那須与一といったら那須に住んでる与一くん、ということでその名乗りが名字となっていきました。
ちなみに那須与一は11人目の子供だったから10から1余ったということで余一と名付けられそれが転じて与一になったそうですよ。ここでは関係ないけど。
豊臣は名字ではなく姓
さて「豊臣」。これは「姓」なんです。
先ほど下賜される代表的な姓は源平藤橘の4つだけということを書きましたが、秀吉が天皇に次ぐ「関白」の地位をゲットするために5つめの姓を無理矢理作り出して無理矢理後陽成天皇から賜姓させた姓なのです。
秀吉はなぜ無理矢理でも姓が欲しかったのか
本能寺の変で信長が死んだあとの後継者争いで、秀吉はうまく立ち回って戦国大名たちのトップに立ちました。しかし、何の地位も後ろ盾も持っていません。
「出自が卑しく将軍にもなれないし、どうすべぇ」と考えたときに頭のいい秀吉は朝廷を利用することを考えたのです。「天皇に次ぐ関白になったら俺エラいじゃん。これで解決」とおもった秀吉でしたが、関白は藤原氏にしかなる権利がありません。
だから秀吉ははじめは朝廷に藤原の姓を寄越せ!と言ったんですが、朝廷は伝統と格式を曲げず、それだけはうんと言いませんでした。
なので、また秀吉は考えました。「めんどくせいなぁ。俺は一番エラいのに。そうだ!無理矢理に関白になれる姓を作ろう!」
無茶苦茶ですが、そうやってできたのが「豊臣」という姓だったんですね。
正解発表!
ここまで書いたらみなさん、もう正解はおわかりですね。
「豊臣秀吉」の読み方は「とよとみのひでよし」です!
正解者に拍手!おめでとうございまーす!
まぁでもしかし、一般的に「とよとみひでよし」って読んでるわけですから、それはそれでいいんですよ。目くじらたてて訂正してたらぼくみたいに煙たがられますよ。
※赤字はみなさんに指摘を受けて訂正した箇所です。申し訳ありません。あとひとつ、秀吉が関白になった際は藤原だったということは完全に覚え違いかもしれません。