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“「誰もが五輪が好き」はおごりと言っていい”は若さと言っていい

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ネットをウロウロしていたらこんな記事を見つけまして。

新型コロナウイルス感染拡大の影響で来年に延期になった東京オリンピックに対して、ホントにやるの?って再考したいってテーマらしいんですけど。

東京オリンピック
Annalise BatistaによるPixabayからの画像)

まぁ朝日新聞なんで、再考するとか言っといてコロナがあろうがなかろうが東京五輪にケチつけたいだけなんでしょうけど。そして、それはそれで構わないんですけど、再考するならもっとマシな見出しがあるでしょう?と思っちゃったので書いてみます。

「誰もが五輪が好き」なのか

東京オリンピックを再考するなら、「誰もが五輪が好きなんておかしいんじゃないか。それはおごりだ」なんて無意味なことを言ってもしょうがないと思うんですよね。

みんなが東京オリンピックを好きで歓迎しているのか、と言ったら決してそうではないでしょうし、だからといって嫌いでもないんじゃないでしょうか。ぼくだって別にオリンピック好きじゃないし。

こういうのは、たとえば皇室でおめでたいことがあったときに「日本国中が祝福しています」って言ってるのといっしょで、一応こう言ったほうがベターだなとボンヤリと考えて無思考に出てくる言葉で「みんなが祝福しているはずだ!そうじゃなきゃおかしい!」なんて誰も思ってないでしょう。

そして「みんながオリンピックが好きで楽しみにしてる」って言葉もそれといっしょだと思います。

みんなが思ってるようで思ってないけど別にあふれ出たところで何の影響もない、「誰もが五輪が好き」なんてそういうセリフですよ。

「誰もが五輪が好き」はどうなの?って本気で思う若さ

じゃあ「みんな五輪が好きはおごりだ!」なんて記事が出てくるのかな、と考えてみると、まぁ、思考が若いのかな、と。若いというか、青いというか、拙いというか。

ぼくも若いころテレビで何か「日本国中が祝福している!」とか「日本中が沸いた!」なんて聞くと「別に祝福してない!」「全然俺は沸いてない!」とかひとりで憤慨して「嘘つくな!」とか言ってました。

それはなぜかというと、簡単に言うとガキだったから。

自分は自分だ、いっしょにするな、不特定多数には入りたくないという若者特有のチープな自尊心と独立心と虚栄心。これが全開だったので「いっしょにするな!」と憤ってたわけですね。ぼくがまだ20歳そこそこだったら、きっと今回の「誰もが五輪が好き」にも、「そのとおりだみんなはもっと考えろ!」と拍手喝采を送っていたかもしれません。

ところがもうこっちは50前のオッサンなのです。そんな青いことはとてもじゃないけど言えません。

今回もこの記事に対して「その通り!」「この人はまともだ!」という意見が多くあって、みんな若いなぁ羨ましいなぁと思った次第です。あ、記事の見出しに飛びついたわけじゃなければ別にいいかと思いますけども。ただ、こういう見出しを持ってくるメディアにはそういう人が飛びつくだろうという意図があると思いますので、そういう風に見られてるというのは考えたほうがいいかもしれません。

最後に

若いのは大変結構なことで、若者がどんどん主張をしてオッサンオバハンを押しのけて日本を良くしていただきたいものだと思います。

ただ、前述したように“「誰もが五輪が好き」はおごりと言っていい”というのは無意味なフレーズなので「そうだね」って軽くいなして、もっとオトナな見出しに噛みついて欲しいなぁと思ったりします。