人にはさまざまな死にざまがあります。そのドラマはどれも興味深く、歴史上の人物の死亡原因とか、調べてみると面白いものも多い。
今回は、戦国時代の武将、千葉邦胤(ちばくにたね)の死にざまを見てみましょう。何せ、オナラがいっちょ噛んでるんで。
千葉邦胤
千葉邦胤は、1557年~1585年を生き抜きました。織田信長の2歳下でほぼ同時代を生きたカンジですね。
関東の名門千葉氏の第29代当主で、兄の良胤が反北条の動きを見せて家臣に追放され当主となりました。当時の関東の小大名が北条と縁を切って存続するのはなかなかな無理ゲーだったでしょうからね。
名門とはいえ衰退が著しい千葉氏の中ではなかなか頑張ったほうで何度も戦場に赴き、関東に進出しようと織田家の滝川一益が使者を送ってくると「信長は武田勝頼を破って調子に乗って北条を侮っとるけど、たとえ氏政氏直父子が信長に降ってもワイはビビらんで」と追い返したところを見ると、千葉邦胤は気概が高いステキな戦国大名だったんでしょう。
ちなみに、『信長の野望』シリーズには『天翔記』以降登場し(『将星録』を除く)、能力は平々凡々です。でも戦闘や政治は人並みでも、気概は高かったんだってば。
家臣のオナラが原因で死亡
そんな千葉邦胤なんですが、彼は家臣のオナラが原因で死ぬことになります。死ぬどころか、お家が北条氏に乗っ取られることになっちゃうんですが、これは一体どういうことか。
桑田万五郎の屁
家中の新年の祝賀の席で、邦胤は家臣の桑田(鍬田とも)万五郎という男に配膳係を命じます。意気揚々と配膳をこなす万五郎でしたが、気合が入るあまり(?)大きな屁をしてしまいました。
「おいおい万五郎、何やっとんねんくっさいなぁwww」と笑って許した邦胤でしたが、あろうことか万五郎はもう一発かましてしまいます。
「おいこら万五郎テメェ!テメ調子に乗りやがってテメ1回許してやったのにテメもう許さんぞテメ大事なテメ新年のテメ席でテメ!」と怒る邦胤。
しかし万五郎は恐縮するどころか「いちいちうるさいなオナラくらいで。出物腫れ物所構わずって言葉知らんのか」と反論。
「まままままま万五郎!そこへなおれぇ!始末してくれる!」と激怒した邦胤でしたが、他の家臣が間に入ってなんとか抜きかけた刀をおさめ「お前は椎木主水正預かりとする!二度とツラ見せんな!」と処分を下しその場は終わりました。
屁のせいで北条氏に乗っ取られる
のちに同輩の嘆願もあって万五郎は赦されましたが、しかし恨みは忘れていなかった。万五郎はとある晩に邦胤の寝所に忍び込み、寝ている邦胤を短刀で刺して逃亡します。
「ごうああああああ!あの小倅めがああああ!あいつだ、万五郎を討ち取れええええ!」と最後の命令を下し、邦胤は死んでしまいました。まだ30前だったのに。
ちなみに万五郎はほどなく捕まり、自害したとも処刑されたとも言われています。
さて、その後の千葉氏ですが、邦胤の嫡男である重胤が跡を継ぐところですが北条氏政から「まだ10歳じゃん。ウチの息子を送るからそれに継がせい」と横やりを入れられ、氏政の息子である千葉直重が千葉氏を継ぎ完全に千葉氏は北条に乗っ取られることになってしまいました。
その後、千葉氏は秀吉の小田原討伐の際に北条氏とともに滅ぼされ、1000年続いた名門千葉氏はその後復興することはありませんでした。
オナラでお家滅亡まで転がってしまうとは、なんともやるせない話です。
原因は痴情のもつれ?
一説では、千葉邦胤と桑田万五郎が同性愛者だったといいます。
その痴情のもつれが原因でこうなったんじゃないかという説を唱える研究者もいるのです。
まぁ、織田信長と森蘭丸、武田信玄と高坂昌信の例を挙げるまでもなく、衆道なんて当たり前の時代ですからあり得ないハナシではないですね。
他の小姓に色目を使いだした邦胤に万五郎が「キイイイイ!新年の席で恥かかせてやるぅ!」とオナラをかまし、謹慎が解かれても邦胤がもはや自分に振り向いてくれなかったので遂に殺害してしまったのではないか、というわけですね。そうなると邦胤と万五郎の大人げない行動も確かに理解できるところです。
最後に
いずれにせよ、なんともしょうもない理由で名門が無くなってしったという、ある意味恐ろしいお話。
邦胤はまだ若かったし気概もあり、もしここを生き抜いていたら本能寺後の混乱の中で千葉氏を再興してたかもしれないと考えると、人間一時でも感情的に行動しないほうがいいですね。