みなさんは、江戸城の天守を再建しようという動きがあるのをご存知ですか。
2020年の竣工を目指すとのことで、何のかんの言って東京オリンピックの際の観光の目玉として位置付けたいというのはあったのでしょう。
その後、2023年、今度は菅義偉元首相が「推進するためには一つの大きな方向性と世論をつくらなければまずいと思っている」と述べたそうな。
しかし、この運動にぼくは徹底的に反対する。江戸城の天守閣は、絶対に再建なんかしたらいかんのです。
保科正之と明暦の大火
ご存知のとおり、江戸城(千代田城)は現在の皇居です。そこにお城の象徴である天守はありません。1657年の「明暦の大火」という大火事で焼け落ちたからです。そのときから天守が再建されることはありませんでした。なぜでしょう。
そのカギは、当時幕府の大老だった保科正之(松平正之)が握っています。保科正之については、以前書きました。
初代会津藩主、時の大老であった正之は江戸の大半を焼失させた明暦の大火の事後処理に追われていました。そのときに天守は再建しない、と決めたのです。
明暦の大火の事後処理
火災後、幕閣たちは何よりも天守閣の再建を最優先すべしと思っていました。江戸城の天守閣こそ自分たちの権威の象徴ですから、当然と言えば当然です。
しかし、そんな主張をする幕閣たちを正之は一喝します。正之は「天守閣などに実用的な意味はない。そんなものを再建するよりも優先すべきことがある」と言って聞きませんでした。
江戸の防災性向上のため、道路の幅を広げたり、上野広小路を火除け用の空き地としてつくったり、新しい堀を開削したりするべきだと主張し、その我が意見を通して実践しました。また、火災後の家屋や建物の再建のために必要な材木の相場を操って利を得ようとする者が出るだろうから材木相場をしっかり把握しておくべき、という細かいことまで気を配って江戸復興に尽力しました。
正之は「天守閣をそびえさせて権威にふんぞり返る無能な官僚などいらない。しっかりとした民政を布き天下を治めよう」として天守再建に資材やお金をまわすことはせず、その後、江戸城の天守閣が再建されることはありませんでした。
天守がないことの意味
つまり、天守が無いということは、権威に拠らなくてもちゃんと天下を治められるということの示しになっているのです。それは正之の誇りでありましたし、その後の江戸期の日本の権力者が必ずしもその感覚を持っていたかどうかは疑わしいですが、それでも“天守がないこと”の意味は正之の名とともに伝わっていたはずです。
天守がないこと自体が安定した天下の証拠となり、それこそが江戸時代の日本人(というか江戸人、というか幕閣?)の誇りとなりえたのではないでしょうか。
天守再建に意味はない、むしろ再建しないことに意味がある
と、ここまで考えたら、じゃあ何のために再建するの?ということになりませんか。無くていいもの、というかむしろ無いからこそ意味があるものを再建するのですか。
天守の再建をしなかった正之の思想とその意味、そういうことをちゃんと伝えて説明すれば、国内外からの観光客もその意味に気付くだろうし、むしろその価値を見出すことができるんだと思います。そして、絶賛されるでしょう。
シンボルやモニュメントとして天守を再建するなんて、まったくもってナンセンスすぎるし意味がなさすぎる。
最後に
そんなわけなので、江戸城の天守閣は絶対に再建したらいかん。個人的には強くそう思うのです。
文化的意義、とかいうならなおさら。